平成19年9月19日(水)~11月11日(日)
能の演目の主人公は、絶世の美男美女、厳かな神さま、神秘的な仙人、恐ろしい鬼や妖怪など、たいへんヴァラエティーに富んでいます。よって、演じている人をそれぞれの役柄に成りきらせるための最重要アイテムである能面にも、たくさんの種類があります。また、一つの面(おもて)で、さまざまな役柄をあらわすものもあれば、たったひとつの演目にしか用いられない、いわゆる「専用面」もあります。そのかたちも、思わず「誰かに似ている」と感じるような人の顔のリアルさをそなえたものから、目鼻口すべてが人のそれとはかけ離れた、凄みのあるものまで、さまざまです。
「能面の世界7 花の容(かんばせ)」は、福岡市博物館にある数多くの能面のなかで、とりわけ魅力に富んだ「老若男女(ろうにゃくなんにょ)」をあらわすものを紹介します。
「老」の章
木賊尉 |
能面には、お爺さんをあらわすものが、意外なほどたくさんあります。それらは、「○○尉(じょう)」と呼ばれます。能に登場するお爺さんは、単なる年寄りではありません。神さまや、樹木や花の精、あるいは名だたる武将の幽霊など、人ではない不思議な存在が、人前にあらわれる際にとる仮姿であることが多いのです。それは、古来、長生きした人は神さまに近い存在で、そのシワシワ顔も、尊く、おめでたいものだと多くの人が感じていたからでしょう。
○木賊尉(とくさじょう)
尉の面には、髭や歯列のつくり、シワの深さや密度に違いをつけた、さまざまなヴァリエーションがあります。木賊尉は、数ある尉の面のうち、最も品格が高く、神さまの化身にふさわしいとされる小尉の類面です。この面は、裏に金泥と墨書で「木賊尉」と書き込みがあるので、それと分かります。名前の由来は、もともとは『木賊』という能の演目専用に作られたことにあります。
「若」の章
邯鄲男 |
三日月 |
能には、前後のふたつの部分に別れている演目が、たくさんあり、シテすなわち主人公は、前と後で全く異なる姿で登場します。例えば、『高砂(たかさご)』のシテ住吉明神は、前半部分では松の木かげをホウキで清めるお爺さん、後半ではさっそうとした男の神さまという本来の姿で登場します。前半、穏やかな年寄りという仮姿をとることによって、後半に明らかになる神さまの若々しいパワーが、いっそう強調されているのです。
○邯鄲男(かんたんおとこ)
邯鄲男は、もともと『邯鄲』という曲専用の面でした。『邯鄲』の主人公は、昼寝の夢の中で一生の栄華を経験し、目覚めて人生のはかなさを知る青年です。若い男面の典型である中将の雅さに若々しい強さが加わった面容なので、さっそうとした神さまの役に用途が広がっていったのです。
○三日月(みかづき)
三日月は、髭や眉の跳ね上がったいかつい面容です。見開いた目の瞳のまわりには、金環がはまり、白目の部分には朱が注がれています。これは、役柄の神秘性をあらわす表現の約束事です。室町時代には、現在、邯鄲男が用いられる神さまの役に、この三日月があてられていました。これは、神さまを表現するにあたり、畏れや近寄りがたさよりも、雅やかさや若々しさを感じさせることに重点が移ったことを反映しています。