平成20年11月11日(火)~平成21年1月12日(月・祝)
四季草花蜻蛉取図扇面( 部分) |
風俗画のはじまり
日本の絵画史において、人々の日常生活を描いた風俗表現が、独立した画題となったのは、それほど古いことではありません。
もちろん、平安時代や鎌倉時代など、古代・中世の絵画の中にも、例えば「年中行事絵巻」(ねんじゅうぎょうじえまき)や寺社の「縁起絵」(えんぎえ)のたぐいに、民衆の姿は生き生きと描き出されていました。ただそれらは、どちらかというと副次的な要素であり、風俗を描くこと自体が制作の目的とはなっていませんでした。
さまざまな階層の人々が生活する様子を描き出すことが、作品にとって中心的なテーマになったのは、16世紀、戦国時代末期から桃山時代にかけてのことです。この頃、京の都の市中と郊外の広大な風景を、上空から眺めたように描く「洛中洛外図屏風」(らくちゅうらくがいずびょうぶ)が制作されるようになりました。その特色は、建ち並ぶ寺社や武家屋敷の壮麗さと、そこに行きかう数多くの民衆の姿を生き生きと描き出しているところにあります。
洛中洛外図屏風( 部分) 右側の、箱を抱えている男たちは傀儡師(くぐつし)。小さな人形をあやつる大道芸人である。 |
中心的なテーマの変化
今回展示している狩野孝信(かのうたかのぶ)(1571~1618)筆の「洛中洛外図屏風」も、こうした系譜に連なる作例で、類例の中では小型の屏風ですが、京の市中の様子がクローズアップされており、向かって右の画面では五条橋から寺町通や清水寺(きよみずでら)、祇園社(ぎおんしゃ)など、左には室町通を手前にして誓願寺(せいがんじ)から御所(ごしょ)あたりまでをおさめています。見どころなのは、商いをする店と客たち、ポルトガル人や黒人が往来する姿など、時代を反映した人々の暮らしぶりが生き生きと表現されているところでしょう。作者の意図が、壮麗な都を描くことから、風俗を描くことへと変化していることがわかります。
洛中洛外図屏風( 部分) 反物を売っている店の様子と客たち。会話が聞こえてきそうである。 |
この「洛中洛外図屏風」と同じ頃か、さらに遡る時代に描かれたと思われるのが「四季草花蜻蛉取図扇面」(しきくさばなとんぼとりずせんめん)と「四季草花柿取図扇面」(しきくさばなかきとりずせんめん)です。これもおそらくは狩野派の名のある絵師によって描かれたもので、桃山時代の草花図の華麗さをよく伝える優品ですが、注目されるのは蜻蛉を捕ったり(男の子)、柿の実を落としたり(女の子)している子供たちの姿。作品の体裁としては四季草花図ですが、作者が描きたかったのは、無邪気に遊ぶこどもたちの姿だったことは明らかです。