平成21年9月29日(火)~平成21年11月15日(日)
2.フクオカ郊外の風景
二人の米兵は、それぞれ外出を心待ちにし、旺盛な好奇心を発揮して、農村や漁村などの目新しい風景を写真におさめています。
昭和30年ごろの米軍板付空軍基地(現福岡国際空港)周辺には、田んぼが広がっており、まず稲刈りや麦刈りなどを撮っています。また、太宰府天満宮や筥崎宮などの神社をはじめ、公園、渡船場なども撮影しています。
牛車牽き (昭和30年(1955)撮影) 場所は、篠栗から八木山峠に向かう途中。この牛車の後輪のタイヤは、米軍ジープのもの。 |
西鉄天神大牟田線の春日原駅。 (昭和30年(1955)撮影) |
稲刈り (昭和30年(1955)撮影) 板付基地近郊の春日原の稲刈り風景。 |
3.ハカタの祭りなど
戦後復興期の昭和30年ごろ、二人の米兵は、フクオカの人びととその文化に魅せられ、当時国内で入手が難しかったカラースライド用フィルムを詰め込んだカメラをもって、街へ、郊外へとでかけました。
ハカタでは、博多祇園山笠や博多松囃子(博多どんたく)をカメラに納めています。また、フクオカであった運動会や桜の花見なども撮っており、日本の祭りや花見などに、興味をいだいていたのでしょう。
平和台球場の試合風景 (昭和29年(1954)撮影) |
博多松囃子(まつばやし) (昭和30年(1955)撮影) |
博多どんたく (昭和30年(1955)撮影) 昭和37年(1962)、「どんたく」は、市民総参加の「福岡市民の祭り 博多どんたく港まつり」となった。 |
4.戦後の米軍基地
米軍板付空軍基地(現福岡国際空港)のロナルド・ビレットと米軍基地キャンプハカタ(現海の中道海浜公園)のケネス・リーブマンの両氏は、それぞれが配属された基地を撮影しています。一般に当時みることができなかった板付空軍基地の観閲式や同基地の宿舎のほかに、米陸軍第8162病院(現簡易保険事務センター)が撮影されており、興味はつきません。
しかしこうした基地も、昭和45年(1970)の日米安全保障協議委員会において、日本への返還が決定し、昭和47年(1972)には板付空軍基地や米軍基地キャンプハカタが返還され、フクオカの戦後もようやく終わった感じがします。
(鳥巣京一)
日本航空機 (昭和30年(1955)撮影) |
C-124輸送機とジープ (昭和30年(1955)撮影) |
F-86Dジェット戦闘機 (昭和30年(1955)撮影) 全天候型で通称セイバードッグといわれた。 |
米軍かまぼこ兵舎 (昭和30年(1955)撮影) 現大濠公園内児童公園付近。 |
米陸軍第8162病院 (昭和30年(1955)撮影) 現簡易保険事務センター。 |