平成22年4月20日(火)~6月13日(日)
わたしたちの生活は、1年を通じて数々の年中行事に彩られています。そして、年中行事は、古くから、日本の絵画の格好のテーマでした。大陸文化の影響を消化した平安時代には、目に親しい穏やかな自然の風景の中に各月の行事や四季の営みが描き込まれた屏風(びょうぶ)や障子(しょうじ)が貴族たちの生活を彩るようになりました。時代は下り、江戸時代末から近代にかけ、平安の雅(みやび)な王朝世界にかつてないほどの憧れを抱き、古い絵巻(えまき)や障壁画、仏画(ぶつが)を熱心に学ぶ画家たちがあらわれます。彼らは、懐古の情をもって、失われた、あるいは、変わりゆく日本古来の行事や風物詩を、丹念に描き出しました。この展示では、彼らが残した年中行事の世界を紹介します。
1. 宮中歳事絵屏風 吉川観方筆 |
上段に挙げた屏風は吉川観方(よしかわかんぽう)という人が描いた屏風です。屏風は、全体で大きな一つの画面になっているものを目にする機会のほうが多いと思います。しかし、この屏風は、各扇(せん)ごとに縁取りがされており、それぞれ異なる絵が描かれています。描かれているのは、宮中でとりおこなわれていたさまざまな年中行事です。行事は、向かって右から、乞巧奠(きっこうてん)、駒牽(こまひき)、重陽(ちょうよう)、射場始(いばはじめ)、五節(ごせち)、追儺(ついな)。乞巧奠は7月7日すなわち七夕の行事で、元は裁縫の技が巧みになることを願うものでした。宮中では、清涼殿(せいりょうでん)の東庭にて、筵(むしろ)のうえに朱塗りの高机を4つ据え、さまざまな供物、琴、香炉を配して織姫と彦星の星合いを祝います。駒牽は8月16日、諸国より献上される馬を天皇が親覧し臣に賜る儀式。重陽は 9月9日、この日は長寿を願って菊の宴が催されます。射場始は10月5日、弓場殿(ゆばどの)にて天皇親覧のもと公卿(くぎょう)以下の殿上人(てんじょうびと)が束帯(そくたい)姿で弓を射る儀式。五節は11月、天皇がその年の新穀を神にささげる新嘗会(しんじょうえ)に行われる五節の舞を中心とする行事のことです。追儺は、大晦日(おおみそか)、黄金四目の面をかぶった方相(ほうそう)氏と20人の●子(しんし)たちを、殿上人が桃の弓と芦の矢で射て、悪鬼を祓い疾病を除くものです。このように見ていくと、この屏風は、7月から12月に至る各月の行事を1扇ずつに描いたものだと分かります。おそらく、対をなすもう一つの屏風があって、それには正月から6月までの行事が描かれていたのでしょう。細やかな筆づかい、鮮やかな色づかいからは、御所(ごしょ)の雅な雰囲気と人々が繰り広げる行事の熱気の双方がよく伝わってきます。
作者の吉川観方(1894~1979)は、京都で、風俗史の研究家ならびに画家として活躍した人です。有職故実(ゆうそくこじつ)(朝廷や武家の儀式・作法の先例を研究すること)にも通じており、この屏風は、研究家と画家、両面の実力をよく反映するものと言えましょう。とは言え、ここに見える図様(ずよう)は、百パーセント彼の創意に基づくというわけではありません。おそらく、江戸時代、天保14年(1843)に冷泉為恭(れいぜいためちか)という絵師(えし)によって描かれた「年中行事絵巻」を参考にしていると考えられています(この絵巻は、京都の細見(ほそみ)美術館にあります)。
冷泉為恭(1823~1864)は、由緒ある絵師の家・狩野(かのう)家の出身ですが、幼い頃から平安朝絵巻の雅の世界に強いあこがれを持っていました。自分の家の画風などそっちのけで名家名刹(めいかめいさつ)に伝わる数多くの古い絵巻物や仏画の模写につとめ、また、有職故実も深くおさめました。17歳のときには「此人の見て腹にいれられたる画巻(描かれた図柄を完全に覚え込み消化している絵巻物)」が89巻もあったと言います(西田直養(にしだなおかい)『筱舎漫筆(ささのやまんぴつ)』)。その才能の早熟ぶりは江戸にも聞こえ、弱冠21歳にして幕府御用絵師のトップであった狩野晴川院養信(かのうせいせんいんおさのぶ)の依頼により『公事十二月之画』を制作するに至りました。これが先ほど述べた「年中行事絵巻」です。
15.追儺図(部分) 田中訥言筆
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実質的に絵師として当時「一番えらい人」だった狩野晴川院から才能を見込まれた為恭が、生涯、尊敬していた先輩絵師に田中訥言(たなかとつげん)がいます。為恭が生まれた年に没した田中訥言(生年は1767)は尾張生まれで、京都で長く宮中絵所預(きゅうちゅうえどころあずかり)をつとめる土佐(とさ)家の絵師に師事したのち、やはり古い絵巻物や仏画をよく勉強した人です。No.15は、訥言の手になる追儺図です。訥言の作品は、王朝の絵画世界をよみがえらせたような鮮やかな彩色の細密な絵柄のものがよく知られていますが、この絵は、ささっと筆を走らせたように描かれ、彩色も淡泊で、むしろ見る人の頬をゆるませるようなのんきな雰囲気があります。
19.懸想文売図(節分) 浮田一蕙筆
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No.19は、訥言の弟子であった浮田一蕙(うきたいっけい)(1795~1859)の手になるものです。描かれているのは、懸想文売(けそうふみうり)。これは、大晦日の晩から年始にかけて、梅の枝に新春を祝う文句を書いた文を結わえて売り歩いたもので、今まで見てきた宮中の行事ではなく庶民の風物詩です。この文を箪笥や鏡箱に入れておくと、きれいな着物が増え、顔が美しくなり、良縁にも恵まれるというので、京の町娘たちに喜ばれたのだそうです。懸想文売は、現在でも京都の須賀神社の節分前夜に神職により行われています。(杉山未菜子)
●はにんべんに辰