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No.371

黒田記念室

長政公はかく語りき

平成22年10月5日(火)~11月21日(日)

黒田長政
黒田長政

はじめに
 歴史上の偉大な人物が残した名言、格言というのは、その人物が亡くなった後も、長く語り継がれていくものです。さらに、そうした言葉が、未来を予言するかのような内容を含んでいる場合、人々は、その先見性に驚かされ、畏敬の念を抱くようになります。
 江戸時代の福岡では、初代福岡藩主黒田長政(くろだながまさ)(1568~1623)を、そうした人物の1人に数えることができます。長政が息子や家臣に伝えた言葉は、長政の没後も福岡藩の政治を規定していくのですが、その傾向は、亡くなった直後よりも、100年、200年と時を重ねるごとに強まり、〈偉大な長政公〉のイメージが福岡藩全体に浸透していきました。
 長政の言葉は、江戸時代を通じて、いったい、どのように人々に受け継がれ、語られ、福岡藩政に影響を及ぼしていったのでしょうか。


1、生前の長政の言葉
 長政は父孝高(よしたか)(1546~1604)と異なり、勇猛なイメージで語られることが多い武将です。しかし、長政が家臣や息子に宛てた手紙を見ていくと、また違った人物像が浮かび上がってきます。
 まず、長政が国元や上方の家臣に宛てた手紙を読んでいてよく出てくるのが「相場」という言葉です。金、銀、米から建築資材に使う材木や綱の相場まで、損失がないように気をつけて売買するよう具体的に指示しています。ここからは財政に気を配る緻密な経営者としての姿が見えてきます。
 また、お金の使い方については次のようなエピソードもあります。ある時、長政が家臣の馬杉喜右衛門(ますぎきえもん)に台所で使用する釜の手配を命じたことがありました。馬杉は念を入れて2つの上等な釜を長政に届けますが、長政はその釜を見て激怒します。茶室で使う釜なら数多く鋳させてもよいが、台所で使う分で2つも送ってくるとは何事かと、「たわけ」「うつけ」という強烈な表現で贅沢(ぜいたく)を戒めています。当時の諸大名は、一方では、徳川家が命じた城普請で莫大な費用を負担していたわけで、表に見えない部分では極力節約をしようとしていた長政の考えが読み取れます。
 続いて、息子忠之(ただゆき)(1602~54)とその養育係に宛てた手紙を紹介します。教育熱心だった長政は、幼い忠之に何をさせるべきか、事細かに指示を出しています。具体的には、読書は「論語(ろんご)」と「朗詠(和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう))」をまず読めるようになること、乗馬に励むこと、毎日鷹狩りに出かけること、食事中にしかめ面をしないこと、盤上の遊び(将棋や囲碁)をしないこと等の指示が書かれています。他にも長政は「気が合わなくても幕府の聞こえが良い人とは付き合うこと」とか、「今の時代は少し愚かでも言葉遣いさえよければ人が褒めるので、言葉遣い・立ち振る舞い・食事のマナーを嗜むことが大切である(資料5)」として、平和な時代の領主としてふさわしい行動の心得を忠之に伝えています。これらからは、時代の大きな変化を経験した長政の現実主義的姿勢が読み取れます。こうした考えは、長政が亡くなる2ヶ月前に記した4冊の遺言帳(資料7)にもよく表れています。


2、長政の言葉の〈発見〉
 寛文(かんぶん)11(1671)年、孝高と長政の活躍をまとめた歴史書「黒田家譜(くろだかふ)」(資料15)の編纂が始まります。本書は、まず、貝原篤信(かいばらあつのぶ)(1630~1714)が編纂担当となり、のちに弟子の竹田定直(たけださだなお)(1661~1745)らが引き継ぎ、紆余曲折を経て、宝永(ほうえい)元(1704)年に浄書を終えました。
 編纂は、古老からの聞き書きや、各家々に伝わっている古文書を素材にして行われましたが、本書には出所のはっきりしない長政の文書がいくつかあります。その1つが、元和(げんな)3(1617)年8月に出されたという「三ヶ条法令」です。倹約の心得を三ヶ条にまとめたもので、当時の重臣6名に宛てて出されています。原本とされる文書(資料12)が黒田家に伝来していますが、継ぎ目の黒印が後から貼り付けてあったり、長政の花押(かおう)(サイン)の形が不自然だったり、疑問点がいくつか見られます。また、長政が始めたという「異見会(いけんかい)(腹立てずの会)」に関わる記事が「家譜」の中に登場しますが、この根拠となったと考えられる文書(資料14)も他の長政書状と雰囲気が異なり、用語の使い方も時代に合わない表現が含まれています。黒田家の輝かしい歴史を後世に伝えるという点に「家譜」編纂の重心が置かれていたことを考えれば当然ですが、現在から見れば、一部に歴史的事実としては認め難い箇所が見いだせることは否めません。
 「家譜」は、その完成時点では、広く公開されていたものではありませんでしたが、一部の家臣らによって密かに転写され、「明君(めいくん)長政」のイメージが水面下で徐々に広まっていきました。

三ヶ条法令
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