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No.372

歴史展示室

幕末を生きた福岡の人々

平成22年10月26日(火)~12月19日(日)

1 平野国臣像(部分)
25 野村望東尼肖像写真(部分)

2、野村望東尼
 野村望東尼は幕末の女流歌人として知られる人物で、文化(ぶんか)3(1806)年9月、福岡藩士浦野重右衛門(うらのじゅうえもん)の次女として御厩後(おうまやのうしろ)(福岡市中央区)に生まれました。文政元(1818)年から行儀見習いのため福岡藩の中老林五左衛門家(はやしござえもん)に仕え、同5年に福岡藩士郡甚右衛門(こおりじんえもん)に嫁ぎましたが、半年程で離縁。同12年、福岡藩士野村貞貫(のむらさだつら)と再婚しました。これ以前から望東尼は、福岡藩士で書家の二川相近(ふたがわすけちか)に書や歌を学んでいましたが、相近が病気のため家塾を閉めた天保(てんぽう)3(1832)年からは歌人・大隈言道(おおくまことみち)の門下に入りました。
 弘化2(1845)年、夫貞貫が隠居すると平尾の山荘(福岡市中央区)に夫婦共に移り住みました。安政6(1859)年7月に貞貫が亡くなると、翌月に得度剃髪(とくどていはつ)しました。
 文久元(1861)年11月、4年前から大坂に滞在していた大隈言道に会うため福岡を発ち、言道を訪ねた後、京都に赴き寺社仏閣や名所旧跡を訪ねました。京都には翌2年5月まで滞在しましたが、この間、島津久光の上洛や寺田屋事件の発生など、京都市中が騒然とする様子を見聞きし、さらに福岡藩御用達の商人で尊攘派の人々と交流のあった馬場文英(ばばぶんえい)と知り合ったこともあり、望東尼は次第に政治に強い関心を持つようになりました。
 同年6月に福岡へ戻った望東尼は、福岡藩の尊攘派の藩士と交流を持つようになります。中でも平野国臣とは彼が脱藩の罪で獄中にいる時から和歌の遣り取りをするなど交流を深めました。また、萩(はぎ)藩の高杉晋作など他藩の志士とも交流がありました。
 慶応(けいおう)元(1865)年6月、望東尼は福岡藩内の尊攘派弾圧(乙丑の獄(いっちゅうのごく))に連座し孫の野村助作と共に自宅謹慎を命じられ、同10月姫島(ひめしま)(福岡県糸島市)へ島流しとなりました。この時、望東尼が捕らえられたのは、京都の馬場文英と頻繁に文通をし、京都と福岡の情報を遣り取りしていたためと考えられます。
 翌2年9月、望東尼は高杉晋作の意を受けた福岡藩士藤四郎(ふじしろう)らによって姫島から救出され、下関の豪商白石正一郎(しらいししょういちろう)宅に預けられました。同3年4月には毛利家から2人扶持が与えられ、9月には三田尻に居を移しますが病気にかかり、11月6日62才で亡くなりました。


おわりに
ここでは紹介できませんでしたが、平野国臣、野村望東尼以外にも福岡には幕末に活躍をした人々がたくさんいます。今回の展覧会が幕末を生きた福岡の人々を知るきっかけになれば幸いです。
(髙山英朗)

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開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
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休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

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