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No.379

考古・民俗展示室

ふくおか発掘図鑑(はっくつずかん)

平成23年2月1日(火)~4月3日(日)

早良区岸田遺跡 甕棺発掘作業
早良区 岸田遺跡 甕棺発掘作業
博多区那珂遺跡 巴型銅器鋳型出土状況
博多区 那珂遺跡 巴型銅器鋳型出土状況
老司瓦窯跡
南区 老司瓦窯跡
西区金武青木A遺跡 木簡
西区 金武青木A遺跡 木簡
東区 香椎B遺跡 石組土壙墓
東区 香椎B遺跡 石組土壙墓

 早良区早良の岸田(きしだ)遺跡は、早良平野が最も狭まり、平野が一望できる丘陵地にあります。ここからは弥生時代の甕棺墓78基、土坑(どこう)墓・木棺(もっかん)墓8基が出土しました。なかでも弥生時代中期の初め(約2200年前)の木棺墓1基と5基の甕棺墓からは、銅剣5本・銅矛(どうほこ)3本・青銅製把頭飾(はとうかざり)1点、そして勾玉や管玉などの装身具が出土しました。多数の青銅器が出土した吉武高木遺跡とほぼ同じ時代で、早良ではそれに次ぐ副葬品の豊富さです。また、弥生時代中期の後半(約2050年前)の甕棺墓からは鉄製の戈(か)が1本出土しています。
 弥生時代の奴国の一角である博多区那珂遺(なか)跡群からは巴形銅器(ともえがたどうき)の鋳型が出土しました。巴形銅器は円のまわりから渦状に足が伸びた装飾金具で、有力者の墓などから出土しています。今回の鋳型は、伊都(いと)国王墓の一つである糸島市井原鑓溝(いわらやりみぞ)遺跡から出土したものとよく似ています。「奴国(なこく)」と「伊都国」の関係や、弥生時代の「クニ」の発展過程の解明に重要な発見です。
 古墳時代の福岡を考える上で、九州大学新キャンパスの足下に広がる西区元岡(もとおか)・桑原(くわばら)遺跡群は多くの資料を提供してくれます。昨年発掘調査された元岡古墳群のG1号墳は一辺18m程度の方墳ですが、石室内からは様々な装身具や武具が出土しました。水晶製の勾玉は数多くの出土品がある福岡市内でも珍しいものです。この他にも弥生時代の河川跡からはたくさんの珍妙な資料が出土しており、今後の発掘調査と整理報告が期待されます。
 古代の福岡を代表する遺跡といえば鴻臚館(こうろかん)と老司瓦窯跡(ろうじかわらがまあと)です。鴻臚館は毎年着実に調査を進め、徐々に当時の様相が明らかにされつつあります。近年の成果では博多湾に突き出した丘陵上にそびえ立つ鴻臚館の姿が復元され、東側には大宰府と直通する官道が通っていたと推定されています。
 南区の老司瓦窯跡は昨年国指定史跡となりました。老司瓦窯跡の存在は知られていたものの、その実像は長らく不明確でした。斜面の補強工事に先立って発見された瓦窯跡は、その重要性から壊されることなく現地で保存されています。この窯跡で生産された瓦は、大宰府観世音寺の屋根を葺くために使用されていました。
 西区の金武青木(かなたけあおき)A遺跡からは「怡土(いと)城」と書かれた木簡が出土しました。調査地点は大宰府と怡土城を結ぶ峠道近くに位置していることから、両者が密接に連携して防衛にあたっていたことが明らかになりました。これらの木簡は池状の水場遺構から発見され、この他にも墨書須恵器などの貴重な資料が多く残されていました。官衙(かんが)(古代の役所)的な建物なども発見されており、怡土城の兵站(へいたん)基地のような役割を担っていたのでしょうか。
 中世の博多湾東側の拠点となっていた香椎宮の北側にある谷間には香椎B遺跡(東区)が広がっています。これまでに行われた発掘調査では室町時代の武家屋敷跡等が発見されていました。最近行われた発掘調査では、谷を見下ろす小高い斜面上に営まれた鎌倉時代の石組土壙墓(どこうぼ)などの墳墓群が発見されました。墓の構造から高い身分の人を葬ったものであることが推定されています。
(池田祐司・本田浩二郎・赤坂亨)

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