平成23年4月5日(火)~5月29日(日)
福岡市中央区 舞鶴浜の町遺跡発掘調査風景 |
福岡市東区 蒲田水ヶ元遺跡 縄文時代住居跡 |
福岡市早良区 原遺跡 龍泉窯系青磁出土状況 |
元岡・桑原遺跡出土翳(さしば) |
遺跡の発掘現場を覗いたことがありますか。工事現場のようだけど建物はなかなか立たないし、なにやら土の山があって、ブルーシートが見える……そこは発掘現場かもしれません。地面に手掘りの穴がみえるならほぼ確実です。
考古学では発掘現場が「生の」第1資料です。遺物の出土した様子、掘り込まれた家の跡などは、多くの情報を語ってくれます。また、昔の人々の暮らしを直接感じることができます。発掘調査の様子は、現地説明会や報道などで紹介する機会を設けていますが、調査の期間・広さなどの都合で実現が難しく、また説明会は1日で終わります。「ふくおか発掘図鑑」では、発掘現場の様子を新旧の出土遺物と共に紹介します。展示品が出土した状況、発掘現場の雰囲気、昔の人々の息づかいを想像してみて下さい。
2008年、中央区舞鶴3丁目の浜(はま)の町(まち)公園では大規模な地質調査が行われ、地下8m(標高マイナス6m)からハマグリ・カキなどの貝層と土器・黒曜石が出土しました。予期していなかった発見です。土器は縄文時代早期の「塞ノ神(せのかん)式」で約8300年前という年代測定の結果が得られています。博多港に近いこの場所は、江戸時代の海岸線にあたります。博多湾の土砂が厚く堆積しているため地下の様子は分からず、遺跡は知られていませんでした。縄文時代早期は現在より寒冷で、海岸線は沖にあったと考えられます。博多湾、玄界灘の底には縄文時代早期以前の遺跡が眠っている可能性があるのです。 福岡IC近く東区蒲田3丁目の蒲田水ヶ元(かまたみずがもと)遺跡からは縄文時代後期の住居跡が2棟見つかりました。住居は円形で中央に石で組んだ炉があります。市内で縄文時代の住居跡が見つかることは少なく、後期で確実な例は初めてです。また、弥生・古墳時代の墓地・集落も重なり合って見つかり、なかでも古墳時代の新羅土器の出土は注目されます。
早良区の原(はら)遺跡では、稲作が始まった弥生時代早期の土器が以前から出土していました。3月に終了した原7丁目での調査では、円形の竪穴住居2棟と長細い建物・貯蔵穴が出土し、この時期の集落の姿が見えてきました。浅い谷には貯木用の穴を掘っています。集落は微高地に広がり、周辺には水田の広がりが予想されます。また平安時代終わりから鎌倉時代の集落もみつかり、10棟以上の建物、17基の井戸、木棺墓1基が出土しました。木棺墓には中国製の青磁碗が副葬されています。青磁は12世紀前半の初期龍泉窯(りゅうせんよう)系青磁で、白磁を中心に輸入していた時代の珍しい一品です。貿易港博多に近接する土地ならではのもので、この地域の有力者の屋敷だったと思われます。
西区元岡の九州大学移転地内の元岡(もとおか)・桑原(くわばら)遺跡では、弥生時代中期終わりから後期の自然流路で土器を中心に多量の遺物が出土しました。その量はコンテナ1万箱を超えています。この中には、貨泉(かせん)などの中国のお金、朝鮮半島・山陰地方の特徴を持つ土器、小銅鐸(しょうどうたく)・銅鏃(どうぞく)・銅鏡などの青銅器、絵画土器など特殊な遺物が目立ちます。また、水気があるため、琴や剣・翳(さしば)など類例が少ない木製品、イノシシ・シカの骨などが残っていました。『魏志倭人伝』の伊都国の1部にあたり、出土した遺物から交流・交易そして祭祀の場であったと考えられます。