平成23年4月19日(火)~6月12日(日)
古墳時代のカマド(早良区東入部遺跡) |
土器での煮炊き
ところでお米はどのようにして食べられていたのでしょうか。弥生時代になり米食等の穀類が主体となりましたが、現在の白米ご飯とは異なり「雑炊」的な食べ方が主流であったと考えられています。何故かと言うと私達が食べているご飯を「炊く」には蓋が必要であり、蓋を置くと「吹きこぼれ」が土器の表面に付きます。一方、蓋の必要のない雑炊ではなかなか「吹きこぼれ」が付かないことが、土器を観察した結果分かったからです。弥生時代の甕であっても蓋があれば現在と変わらない普通のご飯を炊くことができるのを皆さんはご存じでしょうか。
このように土器の表面に付着している「吹きこぼれ」や「オコゲ」などは、当時の食材の内容や調理方法の解明に役立っているのです。また、「煮る」・「炊く」という用途で加熱使用された土器には大量のススが付着します。現在のガスコンロ等と違い、草木を燃料として加熱するのですから当たり前の話です。このススにも当時の貴重な情報が含まれています。ススに含まれる炭素から年代を測定する「炭素年代測定法」は、文字資料の少ない先史時代、つまり縄文時代や弥生時代の実年代を明らかにするためには欠かせない測定法なのです。
カマドと甑の出現
古墳時代になると外来系の生活要素として、住居内にカマドが設置されました。大陸・朝鮮半島からの文化がいち早く伝来していた博多湾岸では、他の地域に先駆けて住居内にカマドが設置されるようになります。早良区の西新町遺跡では、多くの半島系の要素をもつ集落が営まれ、竪穴住居にはカマドが設置され台所の様子も変化していきました。それ以前は住居中央部に煮炊きをするための炉が設置されていましたが、カマドは煙を外に出すために煙道が必要なため住居の一辺に据え付けられました。
カマドは壁体で炎が覆われるため周囲への放射熱が少なくなり、より高温での調理が可能となりました。カマドが普及するにつれ、カマドの内部には石や土器を使用した支脚が使われはじめ、同時に甑の出土例が増加します。「蒸す」という調理方法が一般的に受け入れられていたことが分かります。甑で蒸し炊いた米は私達が通常食べているご飯に比べるとやや硬く、馴染みのない食べ方ではないでしょうか。甑で蒸した米は、なにか特別な時にだけ作られた食事とも考えられています。
考古学的な資料からは調理の時間や労力を明らかにすることはできませんが、現在私達がキャンプなどで行う野外での調理からある程度推し量ることはできます。また、調理に使用した燃料などを明確に示す資料の発見はありませんが、薪集め・管理など着火から調理時間中の火力の維持は、現在のガスコンロや電磁調理器具に比べ大変なものだったことも容易に想像できます。
私達が毎日当たり前のように食べているご飯や色々な食べ物は、過去の人々が台所で様々な試行錯誤を行って完成されたレシピなのです。便利さに慣れてしまった私達は、食だけではなく先人達の積み重ねてきた技術にも思いを馳せる必要があるのではないでしょうか。
(本田浩二郎)