平成23年8月2日(火)~ 9月19日(月・祝)
写真4.梅原末治自筆書状 中山平次郎宛 1919(大正8)年10月12日付 |
展示資料(No./資料名/点数/遺跡名)
- 1 中山平次郎像(小島与一作・明治39年)/1
- 2 弥生土器片/3/板付遺跡 鉾剣発見現地
- 3 朱付着土器/4/須玖岡本遺跡
- 4 水銀朱/1/須玖岡本遺跡
- 5 銅鏃/8/五島山古墳
- 6 玉類/7/五島山古墳
- 7 斜縁神獣鏡/2/五島山古墳
- 8 鉄剣/2/五島山古墳
- 9 水銀朱/1/五島山古墳
- 10 星雲文鏡/1/不明
- 11 異体字銘帯鏡/1/不明
- 12 内行花文鏡/1/不明
- 13 方格規矩四神鏡/1/不明
- 14 細線式獣帯鏡/1/城田1号墳
- 15 原稿「六朝獣帯鏡について」/1
- 16 三角縁三神三獣鏡/1/蒲田天神森古墳
- 17 梅原末治自筆書状/1
- 18 羅振玉『古鏡図録』/1
- 19 富岡謙藏『古鏡の研究』/1
- 20 草葉文鏡(復元)/1
- 21 中山平次郎書状下書/1
- 22-1 前漢鏡片/46/須玖岡本遺跡(王墓)
- 22-2 前漢鏡片/115/須玖岡本遺跡(王墓)
- 22-3 前漢鏡片/13/須玖岡本遺跡(王墓)
- 23 『京都帝国大学文学部考古学研究報告第11冊 須玖岡本史前遺跡の研究』/1
- 24 『古代学』第八巻増刊号/1
中山平次郎 古鏡関係著作(脱稿日順。脱稿日不明の場合は発行日順。考雑は『考古学雑誌』の略)
第一章
- 「九州北部に於ける先史原史両時代中間期間の遺物に就て(一)~(四)」
発行日1917年6月5日~9月5日 考雑7―10・11、8―1・3 - 「銅鉾銅劍竝に石劍發見地の遺物(上)(下)」1918年2月1日 考雑8―8・9
- 「銅鉾銅劍發見地の遺物追加(上)(下)」1918年5月28日 考雑8―10・11
第二章
- 「古式支那鏡鑑沿革(一)~(六)」1918年7月14日 考雑9―2~7
- 「だ龍鏡に就て」1918年7月23日 考雑9―9
- 「芝崎の□始元年鏡と江田の六神四獸鏡」1918年7月29日 考雑9―10
- 「所謂六朝獸帶鏡に就て(一)(二)」1918年10月5日 考雑9―11・12
- 「古式支那鏡鑑沿革(七)」1919年1月15日 考雑9―8
第三章
- 「□始元年鏡と建武五年鏡(高橋健自君の王莽鏡新説を讀む)」1919年8月20日 考雑10―2
- 「再び□始元年鏡と建武五年鏡に就て」1919年8月24日 考雑10―3
- 「神獸鏡の起源に就て」1919年9月6日 考雑10―4
- 「支那神獸鏡と健駄羅藝術」1919年9月14日 考雑10―6
- 「海獸葡萄鏡の發達に就て」1919年9月20日 考雑10―7
- 「支那古鏡銘の西王母に就て」1919年10月5日 考雑11―6
- 「神獸鏡より見たる東西両文明の接触」1919年10月12日 『歴史と地理』4―5・6
- 「神獸鏡より見たる西域仏教芸術」1919年12月30日 『歴史と地理』5―2
- 「TLV鏡の発達に関する知見追加」発行日1921年1月5日 考雑11―5
第四章
- 「大甕を発見せる古代遺蹟(一)」発行日1920年9月5日 考雑11―1
- 「明治三十二年に於ける須玖岡本発掘物の出土状態(其一)」発行日1922年6月5日 考雑12―10
- 「須玖岡本の遺物」発行日1927年8月5日 考雑17―8
- 「須玖岡本の鏡鑑増補」発行日1927年9月5日 考雑17―9
- 「爾後採集せる須玖岡本の甕棺遺物(一)」発行日1928年6月5日 考雑18―6
- 「須玖岡本出土の鏡片研究」発行日1928年11月5日~1929年2月5日 考雑18―10・11、19―2
展示資料は14が福岡市埋蔵文化財センター、18・19が九州大学人文科学研究院、20・22―1が春日市教育委員会、22―2が九州大学文学部考古学研究室、24が個人の所蔵です。また、1~4・22―3は波多野聖雄資料、5~9は柴戸家・五島山古墳出土資料です。
巻頭写真は『九州帝国大学第二回卒業紀年』(大正元年)、図1は著作iv、図2は著作viii、図3は富岡謙藏『古鏡の研究』からの転載。写真1・2・4は福岡市博物館所蔵、写真3は中山俊明氏所蔵です。