平成25年11月26日(火)~平成26年1月26日(日)
図版① 柿本人麻呂像 |
日本の絵画には、中年から壮年にさしかかった男性の姿を描いたものが意外なほど数多くあります。その姿は、歴史上の実在の人物のこともあれば、神さまや仙人(せんにん)など、超人的な力をもった存在であることもあります。この展示は、〝おじさま〟をキイワードにして、さまざまな江戸時代の絵画を、楽しく見ていこうとするものです。描かれたおじさまは、本邦の人物のみにあらず。中国、そして遠い異国のおじさまも登場します。
日本のおじさま代表は、和歌の神さま
図版①は、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の姿です。右手には筆、左手には紙を持ち、左膝をたてて畳の上にすわっています。画面の上のほうには、色紙形(しきしがた)があり「ほのぼのと あかしの浦の 朝霧に しまかくれゆく 船をしぞ思う」と書かれています。柿本人麻呂の和歌としては、百人一首「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」をそらんじている人も多いでしょう。万葉集にも多くの作品が見える、奈良時代を代表する歌人です。
日本では、人の心をうつ優れた和歌を詠(よ)む人を「歌の仙(ひじり)」、「歌仙(かせん)」と呼んで尊敬を寄せ、また、その姿を絵にしてきました。とくに代表的な歌人としてピックアップされた「三十六歌仙」は、絵巻や36枚セットの額絵、画帖の形式で描き継がれてきました。烏帽子(えぼし)を頭にかぶった男性や十二単(じゅうにひとえ)姿の女性、法衣に身を包んだお坊さんが描かれた百人一首かるたの絵札も、歌仙絵の一種ということが出来ます。
さて、柿本人麻呂は、最初に絵姿がつくられた歌仙だと言われています。平安時代の貴族・藤原兼房(ふじわらのかねふさ)(1001~69)は、和歌の上達を願い、いつも柿本人麻呂のことを考えていましたが、ある夜の夢に、梅の花が雪のように降る中に、紙と筆をもち和歌を構想中の人麻呂の姿を見ました。目覚めて、その姿を絵師に描かせ、日夜拝んでいたところ、その霊験なのか、和歌が上達したといいます。人麻呂の絵姿は描き継がれ、ついには、神仏の像にするようにお供えものをする儀式も行われるようになりました。これを「柿本影供(えいく)」、「人丸影供」と言います。柿本人麻呂は和歌の上達をかなえてくれる神さまなのです。