平成28年6月21日(火)~平成28年9月19日(月)
大量の弥生土器を掘り出す
(元岡・桑原遺跡群第42次調査)
はじめに
「ふくおか」には約3万年の歴史があります。その遺跡は市内だけでも千箇所以上になります。遺跡の発掘調査は福岡市の都市開発とともに、1970年代以降急激に増加し、これまで2500件を超える調査が行われました。そのほとんどは開発工事によって失われる遺跡の情報を後世に伝えるための「記録保存(きろくほぞん)」を目的としたものですが、各調査の成果は文献史料にも残っていない歴史の謎を読み解くために必要なパズルのピースのようなものです。
今回で7回目を迎える企画展示「ふくおか発掘図鑑」では、近年都市化が急激に進み、多くの発掘調査が行われた福岡市西部の遺跡と出土品を特集します。一昔前までは郊外としてのどかな田園風景が広がっていたエリアですが、激動の歴史を物語る遺跡の数々が眠っていました。発掘された「パズルのピース」を地道につなぎ合わせて解明を進めているところです。その代表的な遺跡から時代の転換を読み解いてみましょう。
ふくおか最古級の竪穴式住居を掘る
(大原D遺跡第4次調査)
ふくおか「住」のはじまり
福岡市域で最初の人類の痕跡、それは遺跡に残された約3万年前と考えられる石器です。その形状から「台形様石器(だいけいようせっき)」と呼ばれる石器が早良区の有田(ありた)遺跡群などから出土しています。これは槍先など狩猟用の刃物として使用された石器ですが、この後の段階には「ナイフ形石器」が主流になります。石器は時代や環境の変化とともに製作技術や形状が変化しています。氷河期であった旧石器時代、その終末期にはシベリアから細石刃(さいせきじん)文化が波及します。これは石の微小な刃を効率的に製作する技術で、それを骨や木材に多数装着して槍やナイフのように使用していました。替え刃式で、装備の軽量化にもなり、限られた資源や獲物を求めて移動する氷河期の生活に最適でした。
氷河期が終わる約1万6千年前から1万2千年前頃は縄文時代草創期(そうそうき)と呼ばれます。西区大原(おおばる)D遺跡では本市最古級の縄文土器や竪穴式住居などがみつかっています。環境の変化とともに定住性が高まり、堅果類の採集と土器の使用や弓矢による中・小型獣の狩猟など、縄文文化への変化がうかがえます。
弥生時代早期の土器
(橋本一丁田遺跡第2次調査)
平野の開発と農業のはじまり
博多湾から唐津湾沿岸域は2500年以上前、日本列島で最初に水田稲作がはじまった地域です。最古級の水田やその灌漑施設(かんがいしせつ)は博多区板付(いたづけ)遺跡や唐津市菜畑(なばたけ)遺跡が有名ですが、早良平野でも西区橋本1丁田(はしもといっちょうだ)遺跡などで同時期の遺構や農具がみつかっています。この時代を北部九州では弥生時代早期(そうき)と呼びますが、土器は縄文時代の特徴を色濃くとどめています。早良区の原(はら)遺跡では竪穴式住居、掘立柱建物、井戸など集落に関連する遺構がみつかっています。村の周囲を堀で囲む「環濠集落(かんごうしゅうらく)」は弥生時代を代表する集落形態ですが、その出現は100年ほど遅れます。有田遺跡群でみつかっている環濠集落は村の推定範囲が直径200~300mと、弥生時代初期の集落としては最大規模であり、生産力や共同体の発展を物語っています。