平成28年11月1日(火)~平成29年1月15日(日)
海獣葡萄鏡
博多湾引き揚げ
はじめに
みなさんが普段から使っている鏡には、古くから連綿と続く歴史があります。現在は自分の姿を見るための道具として使われることが一般的ですが、宝物的意味合いを持ったり、宗教的な儀式に使用されたりと、鏡はさまざまな側面を持っています。使い方だけでなく、デザインも時代によって変化してきました。このような鏡の移り変わりを見ることで、それぞれの時代の政治・経済・宗教・美術・思想・習俗などが浮かび上がってきます。
企画展「時代を映す銅鏡」では、二回にわたって鏡から見た時代の移り変わりについて展示を行います。第一回目となる今回の展示では、古代から近世を対象に、交易品として外国からもたらされ、身近な日用品として愛されるに至った鏡の姿を紹介します。
鏡がどのような変化を遂げてきたのか、時代を追って見ていきましょう。
唐物文化へのあこがれ
飛鳥・奈良時代(6~8世紀)、日本は国を挙げて中国の制度や技術、文化を取り入れるため、遣隋使・遣唐使を派遣しました。その中で持ち込まれた、日本では得られない様々な文物(唐物)に、人々は憧れを抱いたのでしょう。唐物を持つことは、貴族たちのステイタスとなっていきました。鏡もそのような背景の中でもたらされた文物のひとつに数えられます。中国・唐からもたらされた鏡は、円形以外にも方形や八稜形(はちりょうきょう)など様々な形をしており、多彩な文様を使用する点が特徴的です。
海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)は、唐の時代に盛んに作られ、日本にも多く輸入されました。現在、正倉院(しょうそういん)や寺社など全国各地に残されています。西アジアから中国に伝わった植物の茎(くき)や蔓(つる)を表した唐草文(からくさもん)と禽獣文(きんじゅうもん)が鋳出(いだ)されています。海獣と名付けられますが、特定の獣のことではなく、想像上の獣といった意味で用いられています。写真1は、博多湾内から引き上げられたとされる鏡です。船でどこかに運ばれる時に沈んでしまったのでしょうか。それとも、祭祀を行った際に沈められたのでしょうか。
瑞花双鳳八稜鏡
舞松原古墳出土
和鏡の誕生
その後、唐鏡(とうきょう)を模倣した鏡が作られ始めます。写真2の鏡は、外形などは唐の様式と共通する点はありますが、それまでと異なる文様配置をし、唐草文が退化した瑞花文を使用しています。唐鏡から和鏡へ移り変わっていく様子がわかります。
やがて、平安貴族の生活に根差した国風文化の確立とともに、草花や鳥、蝶などの自然を写実的に描いた文様を配した和鏡が作られるようになります。これらの多くは、貴族の化粧道具として日常的に使用されましたが、一方では神仏へ奉納したり、神像や仏像を鏡に刻んだり、経筒(きょうづつ)の底蓋や埋納品として使用したりと信仰に基づいた使われ方をしたものもあります。和鏡は、唐鏡に特徴的な八稜形よりも円形が多く、小ぶり・薄手の実用的な形をしています。