平成29年4月4日(火)~6月4日(日)
技術の進歩があぶりだすモノ
写真3 コクゾウムシ圧痕(重留遺跡)
日々進歩している科学技術は、私たちの日常生活を豊かにしてくれるだけでなく、未知の解明にも一役買ってくれています。土器についた種や実の痕が、稲作の開始を示す資料として研究され始めた当初は、種や実の痕に石膏(せっこう)や粘土を充(あ)てて、その型を取っていました。近年では、それよりも粒子が細かく流動性が高いシリコーンの使用や、走査型電子顕微鏡(そうさがたでんしけんびきょう)という顕微鏡の登場によって、より細部まで痕跡の復元・観察をすることができるようになりました。その結果、土器に付着している種や実だけでなく、コクゾウムシなどの虫の痕までも見つかるようになってきました(写真3)。体長2ミリ程度のコクゾウムシは、主に穀類(こくるい)につく虫なので、農耕が行われていた可能性を示す重要な資料として注目されました。日本列島において、いつから農耕が始まったか、ということについては現在も研究が続けられているテーマですが、このような分析方法によってデータを蓄積することで、また新たな事実が判明する日が来るのかもしれません。
記憶・記録から推測されるモノ
写真4 毬杖球(博多遺跡群出土)
写真5 円形溝(雀居遺跡)
現在では使われていないモノでも、残された記録などから、その用途がどのようなものであったかわかることもあります。
弥生時代の遺跡からよく見つかるラグビーボールのような形をした小さな土製品。紀元前のエジプトなどで同じような形のものが使われていた記録や、ミクロネシアなどの南太平洋地域での使用例、日本のつぶて投げの事例から、狩猟具(しゅりょうぐ)や武器の投弾(とうだん)として使われたのではないかと推測されています。
また、博多遺跡群で見つかった木製・石製・土製の球(写真4)は、何に使われたのでしょう。遺跡の道路部分で見つかることが多く、道路上で使用するものだ、と推測できます。その形状や出土場所、それに加えて昔の絵巻、記録などから、これらは毬杖(ぎっちょう)という遊びに使われたとされています。毬杖は、もともと奈良・平安時代に行われた打毬(だきゅう)という球技に使われた杖のことを指していましたが、後に打毬をまねて子供が球を打ち合う遊びのことも「毬杖」というようになりました(注2)。これだけ多くの球が出土するということは、さぞかしたくさんのこどもたちがこの遊びを楽しんでいたのでしょう。今では実際に行われなくなった遊びの名前は、知らない人も多いでしょう。いつの日か、この木製の球も誰も使い方を知らない「用途不明品」となってしまうのでしょうか。
モノだけではなく、生活の跡を民族事例から推測することがあります。博多区雀居(ささい)遺跡で見つかった円形溝(えんけいみぞ)(写真5)と呼ばれるものは、狭い円形の溝の底に丸い小さな穴が並んでいる遺構(いこう)です。発掘調査の担当者は、中国貴州省(きしゅうしょう)の事例からブタなどの家畜(かちく)小屋ではないかと推測しています(注3)。しかし、弥生時代の日本においてブタは飼育されていなかったという研究結果がDNA鑑定により提示されています(注4)。この遺構が果たして家畜小屋なのか、それとも別の用途で使用されたものなのか、今後さらなる研究によって明らかにされるでしょう。
過去の人々が残した品々や生活の跡は、それを使う人々がいなくなってしまうと、だんだんと忘れられてしまいます。たくさんのものがあふれている現代社会。使い方がわからなくなってしまうものもたくさんあるでしょう。わからないモノたちの使い方を、未来の人々はどのような推測をするのでしょうか。
(福薗美由紀)
注1:小林行雄一九四一「土製支脚」『考古学雑誌』第31巻第5号
注2:笹間良彦二〇〇五『日本こどものあそび大図鑑』
注3:福岡市教育委員会二〇〇三『雀居遺跡7』福岡市埋蔵文化財調査報告書第746集
注4:小澤智生二〇〇〇「縄文・弥生時代に豚は飼われていたか?」『季刊考古学』第73号
参考文献
○田中一松一九三一『日本絵巻物集成第十二巻 年中行事絵巻(上)』
○中沢厚一九八一『つぶて』ものと人間の文化史44
○福岡市史編集委員会二〇一二『福岡市史』資料編 考古3