平成29年6月6日(火)~8月6日(日)
3 民芸と民俗のあいだ
竹籠(鹿児島県)
野間吉夫は民芸運動の一方で、柳田国男(やなぎたくにお)(1875-1962)の民俗学にも深い関心を寄せていました。鹿児島時代には、柳田の来訪(昭和11年)を契機として、楢木範行(ならきのりゆき)、永井龍一(ながいりゅういち)、宮武省三(みやたけしょうぞう)、児玉幸多(こだまこうた)、内藤喬(ないとうたかし)らと鹿児島民俗研究会を組織し、機関誌「はやひと」の編集に尽力しています。
また昭和12年には、45日間にわたる沖永良部島(おきのえらぶじま)(鹿児島県大島郡)への採訪旅行を行い、その成果を『シマの生活誌』(昭和17年、三元社)として刊行しました。これは戦前の島の暮らしがわかる貴重な記録として、今も繰り返し参照される基本文献となっています。
福岡に転じた後も、昭和18年に福岡の佐々木滋寛(ささきじかん)、梅林新市(うめばやししんいち)、小倉の曽田共助(そだきょうすけ)、壱岐の山口麻太郎(やまぐちあさたろう)らと九州民俗の会を結成し、精力的に民俗調査等を重ねていきます。この時期の活動の一部は、『椎葉(しいば)の山民』(昭和45年、慶友社)、『玄海(げんかい)の島々』(昭和48年、慶友社)としてまとめられています。
同時期に発展を遂げた民芸運動と民俗学という二つのムーブメントは、ものごとの「もの」を通して自らの生活の質を高めようとする民芸運動と、「こと」に心を寄せることで我らの暮らしの変遷に光をあてようとする民俗学という形で対比されます。野間吉夫の関心はその両方に跨(またが)っていました。眼前の事実に向き合い実践を重んじる彼の態度が、それを可能にしたのかもしれません。
4 土と竹
ダゴアゲ(熊本県)
野間吉夫は「九州の民芸では、なんといっても民窯(みんよう)を第一にあげねばならぬ。歴史の古さからいっても、その古いものがよく持続されている点、また古格のある美しさからいっても、焼きもの王国の名をはずかしめない」(「九州民藝」第29号)と書いています。柳宗悦が紹介して広く世に知られるようになった小鹿田(おんた)焼(大分県日田市)のほか、野間吉夫自身が『二川(ふたがわ)陶譜』(昭和32年、私家版)や『苗代川』(前掲)で紹介した品々を含め、魅力的な陶器が多く焼かれてきました。
竹工品の豊かさも九州の特色といえます。「今でもその地方特有の竹工品がいくらでも見つかる。また田舎の農家や台所用品にすばらしいものに出会(でくわ)すことがある」(「九州民藝」第7号)というように、野間は各地に足を運びながら、素朴にしてたゆまざる技巧を持った品、用途に忠実な力強い美を探し続けていました。
(松村利規)