平成29年8月29日(火)~11月5日(日)
したがって、女性の道具の由緒を知るためにはさまざまな資料から手がかりを得る必要があります。その中でも有力な情報を含むのが遺言類です。例えば4代綱政(つなまさ)夫人の六(ろく)(呂久・心空院(しんくういん))の「遺物目録」【7】には「源氏物語系図(げんじものがたりけいず)」【8】と「松嶋御屏風(まつしまおんびょうぶ)」【6】が書かれています。
さらに、これは遺言ではないのですが、6代継高(つぐたか)夫人の幸(こう)(圭光院(けいこういん))の言行録『淑徳録(しゅくとくろく)』には、家宝の移動に関する記事が出てきます。そこには、六(心空院)の母が仙台(せんだい)藩主伊達(だて)家の出身で、源氏物語系図を含めた六の所持品は母から伝えられた品であること、六が立花(たちばな)家から黒田家に嫁ぐにあたって大藩の夫人に相応しい道具を揃えさせようとして、母がそれらの品々を六に贈ったことが記されています。なぜ、柳川(やながわ)藩主立花家から嫁いだ六が九州から遠く離れた松島を描いた屏風を持っていたのか、『淑徳録』には明記されていませんが、もしかすると仙台出身の母から贈られた品々の中の1つなのかも知れません。
このように伝来がある程度分かるものは非常に少なく、多くは時代の経過とともにその由来が分からなくなってしまうものが大半です。しかし、藩主夫人が愛した文物には、母から娘へ、さらにその孫へと連綿と続く母系の歴史が詰まっていることもあります。女性たちが受け継いでいく家宝の歴史、藩主夫人が愛した文物を調べる醍醐味(だいごみ)と言えるでしょう。
(宮野弘樹)
6.塩竈・松島図屏風(上=右隻、下=左隻)