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No.527

企画展示室4

ふくおか発掘図鑑9-2

平成30年12月18日(火)~平成31年4月7日(日)

弥生時代のSAKE?

 土器の表面をよく見るとうっすらと残る褐色の網目模様。土の中に長い時間埋もれている間に網は無くなってしまいましたが、表面にその痕跡だけが残ったものです。博多区比恵(ひえ)遺跡群の弥生時代の井戸から見つかったこの土器、アルコールの容れ物として使われたのではないか、という説もあるようです(注1)。容器を割れにくくしたり、運搬しやすくするために網をかけていたのかもしれません。

 発掘調査で見つかる井戸には土器が埋められていることがあります。現在でも使わなくなった井戸を埋める時には、御神酒(おみき)や塩などを使ってお祓(はら)い・清めを行いますが、弥生時代の人々も同じようなことをしていたのでしょうか。また、博多区那珂(なか)遺跡群や雀居(ささい)遺跡では、土器製作時に網目を押し当てた痕や、粘土紐と赤色顔料で網目のような表現をしている壺が発掘されています。こういった土器も酒の容れ物として作られたものなのかもしれません。

1号墳の埋葬施設(千里大久保遺跡1次)

1号墳の埋葬施設
(千里大久保遺跡1次)

赤に護られた人々

 西区にある千里大久保(せんりおおくぼ)遺跡1次調査で見つかった3基の古墳は、5世紀に造られた円墳です。見つかった埋葬施設にはいずれも赤色顔料が塗られていました。特に1号墳の第2主体部(埋葬施設)は、使用されていた石材の内側、頭蓋骨ともに真っ赤に染まっていました。周辺からは赤色顔料がぎっしりとつまった小壺も見つかっています。この顔料は分析の結果、ベンガラと判明しました。赤色顔料は旧石器時代から使用されていたものですが、古墳時代の人々も赤い色が持つ魔除(まよ)けなどの意味や、顔料の防腐(ぼうふ)効果を期待して墓に使用していたのでしょう。

 千里大久保遺跡が位置する今宿平野周辺には、国指定史跡の7基を含む12基の前方後円墳と350基以上の群集墳(ぐんしゅうふん)が存在しています。今回発掘調査が行われた古墳は、前方後円墳を造営するちからを持つ首長層に連なる人々を埋葬したものではないかと想定されています。

遺構の記録の様子(博多遺跡群205次)

遺構の記録の様子
(博多遺跡群205次)

中世都市博多と周辺遺跡

   東区箱崎(はこざき)遺跡は、中世都市・博多に隣接する遺跡で、輸入陶磁器などの出土が多く見られます。77次調査で出土した火打金(ひうちがね)は「蕨手形(わらびてがた)」と呼ばれるタイプのものです。火打金とは、火打石とぶつけ合うことで火花をちらし、発火させるための道具です。蕨手形の火打金の出土はあまり多くありません。箱崎遺跡の他には、大島(おおしま)遺跡(鹿児島県薩摩川内(さつませんだい)市)(注2)、鷹島神崎(たかしまこうざき)遺跡(長崎県松浦(まつうら)市)(注3)といった、公的機関とかかわりのある遺跡や対外との関係があった遺跡から出土しています。

 博多遺跡群の出土遺物2318点が平成29年度、国の重要文化財に指定されました。その後続いている発掘調査でも、さまざまな貴重な遺物が出土しています。その中から、今回は205次調査で出土した華南三彩(かなんさんさい)と呼ばれる遺物を紹介します。華南三彩とは、中国の明(みん)時代に華南地域(中国南部)でつくられたと見られる鉛釉陶器(注4)で、日本では限られた場所でしか出土しません。今回の発掘調査地点の周辺は、嶋井宗室(しまいそうしつ)や神屋宗湛(かみやそうたん)といった豪商(ごうしょう)が住んでいたと言われる伝承地でもあり、華南三彩以外の出土遺物からも、この調査地にはかなり裕福な商人が住んでいたことが推測されます。

博多人形のはじまり

 博多遺跡213次調査では、博多人形師である中ノ子(なかのこ)家の敷地の一部であった場所が発掘されました。遺跡の上層からは窯跡や、割れて廃棄された人形の破片、七輪や素焼きの背品、窯道具などの博多人形関連資料が多数出土し、博多人形の歴史がさらに詳細に解明されることが期待されています。今回見つかった窯跡は、残存していた窯跡の一部から、「空吹窯(そらふきがま)」という円筒形の薪(まき)窯であったことがわかりました。出土遺物から、この窯は江戸時代の後期から明治時代の初期にかけて操業されていたと考えられます。空吹窯は昭和40年代まで博多人形師の工房で使用されていました(注5)。博多の窯業生産についても今後、研究が進められていくことでしょう。

発掘調査区の様子(福岡城下町遺跡1次)

発掘調査区の様子
(福岡城下町遺跡1次)

福岡城下の移り変わり

 福岡城下町遺跡1次調査では、中世から近代にかけての遺構や遺物が確認されました。この発掘調査地点は、江戸時代は上級家臣の屋敷や郡役所、近代は福岡電信局や大名小学校などで使用されたことが残された絵図などから分かっており、その内容と発掘調査の成果が一致したことも注目されます。
 たとえば、志野(しの)・織部(おりべ)焼の茶陶器からは、茶の湯を嗜(たしな)んでいた上級家臣の存在をうかがうことができます。また、1869年のイギリス製の碍子(がいし)(電力供給に使用するための部品)は、1873年に開設された福岡電信局で使用されていたものだと考えられます。これまで絵図や歴史史料でのみ伝わっていた福岡城下のくらしも、今後、更なる発掘調査資料の増加とともに明らかになることが増えてくるでしょう。(福薗美由紀)

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