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No.135

黒田記念室

幕末の文化人展1-大隈言道とその周辺-

平成10年10月27日(火)~12月20日(日)

二川相近像(部分)
二川相近像(部分)
百武万里像(部分)
百武万里像(部分)
野村望東尼像
野村望東尼像

○言道をめぐる人々

 このコーナーでは言道と関わった代表的な人々について紹介する。

○二川相近(ふたがわすけちか)(1767~1836)

 言道が、最初に書や和歌の手ほどきを受けた人物である。彼は藩の料理方の家に生まれたが、書を巧みにする事から28才の時、藩の書道方を命ぜられることとなった。彼は書ばかりでなく雅楽演奏、筑前歌壇の上でも名を知られていた。

○広瀬淡窓(ひろせたんそう)(1782~1856)

 次に、言道が師匠として求めた人物。実に言道41才の時の入門であった。淡窓は子弟に漢学を教え、詩作を心の中を素直に表現するものとして奨励した。入門は3年程度の短い期間だったと推定されるが、この詩作についての考え方は言道の歌論に大きな影響を与えたものと思われる。

○野村望東尼(のむらぼうとうに)(1806~1867)

 言道の代表的な弟子の1人。筑前の勤皇の志士としても知られている。彼女は夫貞貫(さだつら)と共に言道に入門し、その歌は日常生活に題材を求めたものが多い。野村夫妻の隠居宅「平尾山荘(ひらおさんそう)」(現福岡市中央区平尾)では言道を招き、同門の人たちの歌会が度度行われたという。また、彼女の代表的な歌集となった「向陵集(こうりょうしゅう)」の序を書いてくれるよう、当時大坂にいた言道を訪ねたことが日記に記されている。

 この他にも友達として、百武万里(ひゃくたけばんり)のような蘭方医(らんぽうい)がいることが知られている。先に紹介した外来語を取り入れた歌のような斬新な発想はこのような交遊関係から培われたものと思われる。


大隈言道歌碑
大隈言道歌碑

○言道の晩年

 安政4(1857)年、言道は歌集出版のため大坂に行く。言道59才の時であった。大坂で彼の歌才は認められ、自分の歌の集大成とも言うべき「草径集(そうけいしゅう)」その他の歌集の編纂を、また全国から寄せられてくる歌を編纂をする。大坂に居ること約10年、彼は中風を患い今泉(現福岡市中央区今泉)の居宅「ささのや」に戻る。翌明治元(1868)年70才で死去。まさに幕末の歌壇に新風を入れた一生だった。

(楠田 恵)

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休館日

開館時間
9時30分~17時30分
(入館は17時まで)
※7月22日〜8月26日の金・土・日・祝日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

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