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No.334

考古・民俗展示室

なるほど埴輪展

平成21年2月3日(火)~平成21年4月5日(日)

なぜ埴「輪」? ~その形と並べ方~
 「則(すなわ)ち其(そ)の土物(はに)を、始(はじ)めて日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の墓に立つ。仍(よ)りて是(こ)の土物を號(なづ)けて埴輪(はにわ)と謂(い)ふ。亦(また)は立物(たてもの)と名(なづ)く。」
   『日本書紀』垂仁(すいにん)天皇三十二年条
 これが「埴輪」という言葉が出てきた最初の例です。土物と書いて「はに」と読ませているので、「埴」は粘土で出来た物だとわかります。では「輪」とはなんでしょう?

朝顔形埴輪(東光寺剣塚古墳出土)
朝顔形埴輪(東光寺剣塚古墳出土)

 「輪」の由来は、円筒埴輪という埴輪そのもの見た目から、あるいは古墳の上に円筒埴輪を、輪を描くように並べたから、という二つの説があります。いずれにせよ、おなじみの人や馬からではなく、何の変哲もない土管の様なものから埴輪と名付けられたことになります。それもそのはずで、実際に発掘で出土する埴輪の大部分は円筒埴輪であり、人や馬などの形象埴輪は本当にわずかしか出土しないのです。
 福岡市西区にはかって吉武(よし たけ)S-1号墳という帆立貝の形をした5世紀中頃の古墳がありました。古墳を全面発掘した結果、全体の1/3周ほどの埴輪列が確認され、全34本中32本が円筒埴輪で、2本が朝顔形埴輪でした。形象埴輪と分かったのは展示した数片のみでした。

ルーツを探る ~埴輪の誕生~
 埴輪はなぜ古墳に並べられるようになったのでしょう。先に紹介した『日本書紀』ではこう説明しています。
 ―かつて、古墳に人を葬る時にはその家来も一緒に生き埋めにするという風習があった。しかしこれを悲しく思った垂仁天皇は、自分のお后である日葉酢媛命の古墳を作るときに「人の代わりに土で作った人形を古墳に立てましょう」という家来の野見宿禰(のみのすくね)の発案を採用し、埴輪を立てることで古墳に家来を生き埋めにすることを禁じた、と。
 この説話では埴輪は人物埴輪から始まったとしていますが、考古学の研究の成果で、最古の埴輪は人物埴輪ではなく、円筒埴輪だったことが分かっています。この円筒埴輪、意外なことに発祥の地は古墳の多い奈良盆地ではなく、今の岡山地方でした。ここでは大型の墳丘墓が弥生時代後期(1~3世紀)に営まれていました。
この墳丘墓に供えていたのが特殊器台です。もともとは壺をのせる日常用の台だったのですが、透かし彫りと独特の文様が施され、さらに1mを超えるまで大型化し、日常の土器からお墓に供える専用の土器となりました。
 土器の形を残す特殊器台から、直線的な形状の都月形埴輪へと変化し、最終的には文様も消え画一的なデザインとなったのが円筒埴輪です。また特殊器台の最初の機能であった「壺をのせる」という意味は残り、円筒埴輪と壺が一体化した朝顔形埴輪も誕生しました。このような変化を遂げて円筒埴輪と朝顔形埴輪は、奈良盆地で誕生したのです。
 古い埴輪の透かしが三角形であることや、透かしが一段ごとに開けられていること、タガ状の突帯がめぐることなどは特殊器台の特徴が残ったものなのです。

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