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No.339

歴史展示室

戦争とわたしたちのくらし18

平成21年4月21日(火)~6月21日(日)

「防衛食」容器
「防衛食」容器
陶器の湯たんぽ
陶器の湯たんぽ

 昭和20(1945)年6月19日深夜から翌20日未明にかけて、アメリカ軍の長距離爆撃機B29の大編隊から投下された焼夷弾(しょういだん)による爆撃をうけ、博多部など福岡市の中心部は焼け野原になりました。福岡市博物館では、開館以来、この「福岡大空襲の日」の前後に「戦争とわたしたちのくらし」展を開催してきました。毎回さまざまなテーマで展示をしてきたこのシリーズも今年で18回目です。今回は、あらゆる物資が不足した時期に登場した「代用品」や、節約や簡素化をよびかけた宣伝などを中心に展示をしています。当時の人びとのくらしをしのび、あらためて「戦争と平和」について考えるきっかけにしていただければと思います。

金属の不足
 戦争には武器が必要です。武器生産には金属が必要です。しかし、人びとのくらしにもさまざまな形で金属が必要です。戦争中は、大量に武器を生産するために、金属資源が軍需へ優先的にまわされました。昭和15(1940)年8月には、アメリカが日本への屑鉄や鋼鉄の輸出に制限をもうけました。金属の需要が増大する一方、原料の供給が減少したため、金属は不足し、「銃後」のくらしに必要な金属の供給は制限され、金属類の回収も行われました。
 昭和13年頃から、金属回収が呼びかけられ、ベンチや鉄柵などが対象になりました。昭和16年9月に金属類回収令が施行されてからは、徹底した金属回収がはじまりました。西公園(福岡市中央区西公園)の記念碑や銅像が回収されたのもこの時期です。西公園には、昭和39年に再建された平野国臣像のほかに、かつては、加藤司書像、吉岡大佐像、日清戦争と日露戦争の記念碑がありました。櫛田神社(福岡市博多区上川端町)の博多会館(現櫛田会館)建設の記念碑も回収されています。現在境内に立つ「櫛田会館建設之碑」には、昭和16年に、唐金(銅と錫を主体にした合金)製の記念碑を供出したことが刻まれています。
 それまで金属製であったものが陶器になるなど、「代用品」も盛んにつくられました。食品の缶詰が陶器の「防衛食」容器になったり、湯たんぽを陶器でつくったりしました。竹製のヘルメットもつくられました。
 貨幣の改鋳も行われました。同じ材料で重さを軽くしたり、材料を変更したりしています。銅貨の発行は昭和15年、銅貨やニッケル貨にかわって登場したアルミ貨の発行は昭和18年が最後でした。ポスターなどでは、銅や鉄を供出して弾丸などの武器として戦地に送ることがさかんに呼びかけられました。他にも、銅は通信機材には不可欠な金属であり、飛行機にはアルミ合金が必要でした。昭和19年に発行された貨幣の原料は、比較的入手しやすく加工もしやすい錫や亜鉛でした。さらに、昭和19年11月には十銭と五銭という少額紙幣が発行されました。また、実際に発行はされませんでしたが、昭和20年には粘土と長石を原料とする陶貨がつくられました。

休館日

開館時間
午前9時30分~午後5時30分
(入館は午後5時まで)
7月22日から8月27日のうちの金・土・日ならびに8月14日、15日は午後8時まで開館(入場は午後7時30分まで)
休館日
毎週月曜日
※月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館
8月14日、15日は開館、8月16日は休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで
pressrelease

Facata(博物館だより)

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