平成23年5月31日(火)~ 7月18日(月・祝)
洛中洛外図屏風(部分) |
はじめに
私たち現代人とひと昔前の日本人は、同じ身振だったのでしょうか。
身振とは、身のこなし、立ち居振る舞いのことです。この問題を考えるのに、私たちの生活の基本である「立ち居」つまり、歩き方、走り方、座り方を中心に、都会と田舎のしぐさをみてみましょう。
1、昔の人はどう歩いていたか
かつての日本人の歩き方は、上半身を動かさず、手と足が同じ方向に出る「ナンバ」であったといい、ナンバは「南蛮(なんばん)」から来た名称とされています。しかし、南蛮といえば真新しい風変わりなものを指す言葉であり、それが古い歩き方の名称の由来だったのかは疑問があります。
日本舞踊では、「ナンバ」と「南蛮」、2つの歩きの型を今に伝えています。上体を捻(ひね)らない足の運びをナンバ、人形の振りや滑稽味(こっけいみ)を出すときに用いられる手を振る動作を表現したものを南蛮といい、使い分けがあるようです。これから考えられることは、手を振らずに下半身の力だけで進む歩き方が固有の身振であったということでしょう。南蛮という言葉は手を振るのは西洋由来のものであることを伝えていることになります。それではナンバは何に由来しているのでしょうか。
玄界灘沿岸の漁村で船を陸に揚げる巻き取りの車のことをナンバと呼びましたが、それを回して、とも綱を巻き取る身振がナンバであろうという説がありますが、これはけっこううなずける説だと思います。しかし、まだ定説はありません。
現代の歩き方の起源は、明治18(1885)年から全国で実施された兵式体操にあります。西欧の身振を取り入れた学校教育で訓練されたものです。そういえば、筆者も小学校での行進練習では、手と足が同じ方向に出て、叱られたのを思い出します。慣れないと足と手を交互に出すことは、私たち日本人には難しい動作だったのです。
もうひとつ、この歩き方が外来のものであると分かる瞬間があります。着物に下駄(げた)という姿で、踵(かかと)から踏み出して、手を振り上半身を捻る今の歩き方をするとどうなるでしょうか。歩みを進めるほどに着物の衿(えり)や裾(すそ)が乱れ、着崩れてしまいます。現代の若い女性たちは和装の時、広幅の帯を腰ではなく胸近くできつく締めてそれを防いでいます。これでは、息苦しいのでそんなに長くは着ていられません。それに比べて、いつも着物姿であったひと昔前の人々の着こなしを見ると細めの帯を腰近くで、わりと緩めに着ているのが分かります。この緩さで着崩れないのは、身体を捻る身振をしなかった証明になります。
2、私たちは走れなかった
明治以前の日本人は今のようには走れませんでした。踵から踏み込み、後ろ足の爪先で蹴り、腕の振りを使って勢いを付けるということができなかったわけです。ひとつには、腰をやや落として膝を曲げて立つ中腰(ちゅうごし)が、普段の姿勢であり、摺(す)り足が基本であったからです。下駄(げた)や草履(ぞうり)では、走ることが難しかったのです。走るときは、履物(はきもの)を脱いで、懐(ふところ)に入れたのです。
それでは今のように走れなかった日本人は、火急(かきゅう)なときはどうしたか、疑問です。そのときは、手を前方に差し出し、その重さを利用して、倒れるように前ノメリに進むという身振をしたようです。江戸時代、長崎には唐人屋敷(とうじんやしき)がありましたが、そこでの事件を描いた絵図には、中国商人たちが手足を交互に出す走りをしているのに対し、日本人は、手を上げて走っている姿が描かれています。