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No.419

企画展示室4

自然と遺跡からみた福岡の歴史

平成25年10月1日(火) ~12月15日(日)

海の中道砂丘の浸食と南進方向
海の中道砂丘の浸食と南進方向

○遺跡からみた福岡の歴史
海の中道と奈多砂丘(なたさきゅう)B遺跡
 現在、博多湾の海岸線は埋め立てによって広がっています。博物館がある百道浜は1980年代、アイランドシティは1990年代以降の埋め立てです。その一方で玄界灘に面した海の中道では、海岸の砂丘が海によって少しずつ削られ、海岸線が後退しているところがあります。奈多砂丘B遺跡はそのような場所にあり、約1900年前の弥生時代後期の集落の跡が、今日も海に浸食(しんしょく)され消滅の危機に瀕しています。

縄文・弥生時代移行期の遺跡密度分布
縄文・弥生時代移行期の遺跡密度分布

 海の中道の地表の大部分は、約7000年前の縄文時代前期以降に発達した砂丘です。それ以前には北側に「古海(こうみ)の中道(なかみち)」とも言うべき砂丘があり、五百メートル以上後退して現在の形になったと考えられています。つまり「古海の中道」が海に削られ、風で博多湾側に運ばれて、現在の海の中道が形成されました。奈多で行ったボーリング調査では、遺跡周辺の地層は海側のほうが高く、砂丘の高まりがさらに海側にあったことを示しています。さらに、奈多砂丘B遺跡では旧石器時代の石器が出土し、古い時代に砂丘があったことを物語っています。

○地理情報システム(GIS)
 今回の『特別編』では、GISという地理情報システムを使って、遺跡の立地・性格などの情報を解析し、地図上に遺跡の立地を示すことで、視覚的に福岡の歴史的変遷をたどりました。各時代のなかでも、遺跡の立地の変化が端的に表れたのが縄文時代から弥生時代へ変わる時期です。縄文時代晩期には、河川の上流や山間部を中心に遺跡が分布していますが、弥生時代早期になると河川中流域・下流域に遺跡が移動しています。この時期は急激な寒冷化が起こったことで海岸線が後退し、下流の沖積地(ちゅうせきち)は地形的に安定します。そしてこの沖積地が稲作に適した耕作地となり、人々はそこに農耕集落を築いたのでした。遺跡立地の変化が縄文時代から弥生時代への社会変化、人々が環境に適応した姿を示しています。

博多付近の海岸線の変化
博多付近の海岸線の変化

○歴史的景観を探る
絵図にみる地形変化
 現在私たちが目にする福岡の市街地の基礎は、江戸時代に築かれたといってもよいでしょう。自然の営力に加えて、それまでになく人の手で景観が変えられた時代でもありました。その変化の様子は絵図によって視覚的にたどることができます。ここでは正保(しょうほう)3(1646)年と元禄(げんろく)12(1699)年の福博惣絵図(ふくはくそうえず)の博多付近を比べてみましょう。正保の図では、那珂川(なかがわ)の河口(かこう)と沖にも砂州(さす)が発達していますが、元禄になると西から突き出た砂州以外は縮小しています。この変化は、元禄の図にみられる「御舟入(おふないり)」ができ、これに出入りする船のために除去されたと考えられます。また、海岸線が北へ前進していることも注目されます。元禄の図では海側に新たな道路ができて市街地が拡大した様子を見ることができます。絵図を様々な視点からみることで人と環境のかかわり、景観の変化の過程をたどることができます。
 『特別編』と展示のなかから、ほんの一部について触れました。本編ではカラー図版を使い、人と自然の歴史を様々な角度からとらえています。本展示会と『特別編』が、自然や遺跡あるいは歴史の大切さを知っていただく機会となれば幸いです。
(池田祐司)
挿図は『特別編』から引用

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pressrelease

休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
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休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
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