展示・企画展示室2

No.447

企画展示室4

『博多年中行事』を歩く

平成27年2月24日(火)~4月26日(日)

博多明治風俗画「はだか参り・かざり馬」
博多明治風俗画「はだか参り・かざり馬」

③ 鎮火祭 (西区愛宕(あたご))

一月二十三、二十四日 市内姪浜町(めいのはま)愛宕神社の祭礼で二十四日は午前十時から鎮火開運祭を行ふ。以前はこの祭を愛宕の馬市(うまいち)といつて近在の馬の所有主は馬を美しく装はせ、その胸がひ尻がひには鈴をつけて馬道を登つて参詣したもので、一名シヤゴシヤゴ馬と呼び、又馬さしと云つて往来で馬の後脚を踏み張らせた。
 

 火伏せ・断ち物の祈願に霊験(れいげん)ありとされる愛宕神社の正月大祭には、飼い主が馬を美しく飾って参拝する姿が見られたといいます。明治時代の博多の風俗を絵に残した祝部至善(ほうりしぜん)も、その様子を描いています。馬が登るのは「正面の階段からでなく、女坂と云う馬の登る道」でした。そして、これを「馬道といっていた。それでも中途に三階段が三ヶ所設けてあったが、近来は自動車で登れるようにというので、それさえ撤去せられている」と参拝経路の変化にふれています。


④ 棹喧嘩(さおげんか)(博多区駅前二丁目付近)

二月初午日(はつうま) 初午の日には今から四十年位前迄は今の博多駅裏手辺りの田圃(たんぼ)で、辻堂町(つじのどうまち)と祇園町(ぎおんまち)の人々が棹をもつて喧嘩をした。午前中は子供が棹をもつて争ふが午後になると大人が 被りに紺のヒヨーヒヨー(上着)を着て之に加つた。棹を多く奪ひ取つた方の町が勝ちとなる。喧嘩は其日限りで勝負を遺恨に思ふことはなかつた。之を見るために弁当を持つて来る人もあつた。

 何とも不思議な風習です。小田部博美(こたべひろみ)『博多風土記』(一九六九年)はこれを、「初午けんか」として紹介し、「矢倉門(やぐらもん)、牛町(うしまち)、辻堂、瓦町(かわらまち)、祇園町、出来町(できまち)辺の青壮年が、早朝から集合して田圃の中で、一丈も二丈もある青竹を振回して隊伍を組んで、たたき合った」と記しています。
 橋詰武生(はしづめたけお)『明治の博多記』(一九七一年)は「喧嘩ゴー」(「ゴー」は遊びの意)としてとりあげています。博多の「岡部(おかぶ)では辻ノ堂、馬場、鷹匠町(たかじょうまち)あたりがよくやったが、浜部(はまぶ)では下対馬小路(しもつましょうじ)の大下(おおじも)《中略》と洲崎(すさき)とが、よく繰り返し」たらしく、「双方共に向き合って、ばさッばさッと路面を物干し竿で叩く。連打の音だけは派手であるが、決して怪我(けが)人は出さない」町ぐるみで競い合う大がかりな遊びだったようです。


⑤ 正御影供(しょうみえいく) (博多区御供所町(ごくしょまち))

三月二十一日 けふは真言(しんごん)宗の祖弘法大師(こうぼうだいし)の入定(にゅうじょう)の正忌日(しょうきにち)に当るので、博多の東長寺(とうちょうじ)では大師の御影(みえい)を安置して供養する。《中略》独楽(こま)の曲廻しが競演され、足の長い独楽を竹の筒に入れて糸を引いて廻す東長寺独楽や、捻(ひね)り独楽、吉独楽等を売つてゐた。また、古い独楽はこゝの境内に捨てたもので、一種の「独楽祭」であつた。「博多独楽」の本場で、曲独楽(きょくごま)の名人を出した博多としてはふさはしいことであつた。

 木台に鉄の芯棒を打ち込んだ独楽のことを「博多独楽」といい、博多から全国に広まっていったと伝えられています。この独楽は、回転の中心がとりやすく安定しているため、子供の遊びの枠を越え、しだいに曲技に特化した形のものが作られるようになりました。江戸時代には、博多独楽は芸能として日本各地で興業を行い、人気を博したといいます。

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