平成2年10月18日(木)~12月24日(月)
種信肖像画 |
(左)天上御殿図、(右)富士山図 |
はじめに
種信は、国学者・歌人として知られているが、その本領は、和学、漢学を修め、郷土の地理・歴史を即地、即物的に把握解明する実証的学者であるところにあった。その点では、師匠本居宣長(もとおりのりなが)の学問を基礎として、独特の領域にわけ入り、現代的考古学の先駆者という一面を、如実に示している。
この展示は、(1)種信の足跡、(2)種信と国学、(3)種信と地誌編纂、(4)種信と考古学の4コーナーに分けて行なっている。
青柳種信(あおやぎたねのぶ)について
種信は、江戸時代後期の国学者、考古学者である。1766(明利3)年に福岡藩足軽青柳勝種の次男として生まれた。通称を勝次、初名は種麿、のち種信、柳閣と号した。国学に志し、24歳のとき本居宣長に入門した。
その後福岡藩で編纂(へんさん)中の『筑前国続風土記附録(ちくぜんのくにぞくふどきふろく)』の記録助手となる。やがて、1812(文化9)年伊能忠敬の地理測量の案内役として奔走した。伊能の求めで『宗像宮略記』『後漢金印略考』をまとめた。
1814(文化11)年、御右筆記録方に昇進した。
1835(天保6)年、種信は『筑前国続風土記拾遺(ちぐぜんのくにぞくふどきしゅうい)』を完成させることなくこの世を去ったが、種信の長子種正、次子種春が遺業をつぎ、門人坂田良賢、藤田正兼らとともに完成させた。
著書には、『防人日記』『筑紫官家考』をはじめ考古学的に著名な『柳園古記略」などがある。
種信門下からは、伊藤常足(つねたり)、二川相近(ふたがわすけちか)、原田種彦らを輩出した。
筑前の国学者系列(三宅酒壺洞作「筑前歌人系列について」による) |