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No.007

美術・工芸展示室

東光院の仏像1

平成2年10月18日(木)~平成3年3月31日(日)

日光・月光菩薩立像

 中央に安置された仏像の両側に控えている仏像を脇侍(わきじ(きょうじ))といいます。薬師如来の脇侍は向かって右に日光菩薩(にっこうぼさつ)、左に月光菩薩(がっこうぼさつ)これらをあわせて薬師三尊仏とよびます。

 日光菩薩は太陽がこの世のあらゆるものを照らすように、すべての人々の煩悩を照らし、無知の闇を打ち砕く菩薩を意味しています。一方の月光菩薩は夜の月がこの地上のすべてのものにやさしい光をふりそそいでいるように、いつくしみの心を持った菩薩を意味しています。その意味の象徴として日光菩薩は日輪(にちりん)を月光菩薩は月輪(がちりん)を持っています。

日光菩薩立像(鎌倉時代)

 信仰上の理想的な容姿をした平安時代後期の仏像にくらべ、鎌倉時代の仏像は宋(中国)の仏教様式をうけ、写実的な像がつくられました。さらに写実性を高めるために、眼にガラスを使ってよりいっそう本物の眼にみえるように工夫されています。これを玉眼(ぎょくがん)といいます。衣裾も平安時代のは静かに垂れ下がっているだけですが、鎌倉時代のは風になびいているように動的につくられています。

日光・月光菩薩立像(江戸時代)

 江戸時代の造像活動は、平安や鎌倉時代のそれにくらべて、みるべきものは少なく、この像にみられるように、玉眼であり風になびく衣裾になって前時代の様式を保とうとしていますが、全体的に動きは鈍く、彫刻刀の冴えはみられません。

因達羅大将立像
因達羅大将立像

十二神将立像

 薬師如来の眷属(けんぞく)(家来)で、それぞれ怒った顔をして身には甲冑(かっちゅう)をつけ、そして手には武器を持って、仏教行者を警護します。もともとは十二支に関係はなかったのですが、昼夜12時の護法神としてかわるがわるに守護の任務について人々を守ると考えられたために、頭上に獣頭をのせるようになりました。

 彫りが浅く、丸い顔面はおだやかな動作の表現とともに平安時代後期の像の特徴です。各像ともに干割れをふせぐために体内を刳っていますが、そのうち波夷羅(はいら)大将(辰神)像の内部には、幸千代が眼病が治りますようにと願って大永8年(1528)にお金をだして、博多の仏師重元に像を修理させたと墨書きがしてあります。また安底羅(あちら)大将(申神)、迷金羅(めきら)大将(酉神)、宮毘羅(くびら)大将(亥神)の各像の背面には寛文7年(1667)に福岡の仏師朝桜がつくったと書かれています。いずれも郷土の仏師の作例として貴重です。

金剛力士立像

 寺の入口の山門(仁王門)に安置され、怒った顔をして、上半身裸、片手は開いて前につきだし、もう一方の手には金剛杵(こんごうしょ)(武器)を持って、寺の境内を守護します。向かって右の口を開けているのが阿形(あぎょう)、左の口を閉じているのが吽形(うんぎょう)です。別称で仁王(におう)(二王)とよばれ、また、健脚の神としても信仰されるので、大きな草鞋(ぞうり)が奉納されている寺もあります。

 阿形像の右腕の中に、正平22年(1367)に大仏師加賀法眼宗栄がつくったと墨で書かれています。作者と制作年がわかる貴重な像例です。

出陳リスト

薬師如来立像
(重要文化財)
桧材 寄木造 彫眼像高198.0平安時代後期1躯
日光・月光菩薩立像桧材 寄木造 玉眼像高88.3(日光)87.2(月光)江戸時代2躯
日光菩薩立像
(重要文化財)
桧材 寄木造 玉眼像高63.7鎌倉時代1躯
十二神将立像
(9躯は重要文化財)
桧材 寄木造 彫眼像高69.5~73.8平安時代後期(9躯)
重要文化財でない3躯は江戸時代
12躯
金剛力士立像桧材 寄木造 彫眼像高209.8(阿形)208.1(吽形)南北朝時代2躯

(以上 福岡市美術館蔵)

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開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
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休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
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