平成3年3月12日(火)~5月12日(日)
明治40年代福岡高等小学校の川中島 |
大正14年門司松本高等小学校秋季大運動会 |
昭和7年早良高等女学校の海水浴 |
教科書の移り変わり
わが国の教科書は、絶えず欧米の影響を受けつつ国内の社会状況を敏感に反映して編纂されてきた。明治5(1872)年「学制」がはじめて実施されたとき、教科書はすべて自由採択制であった。ところが、明治10年代になるとだんだんと教科書に対する統制が強まり、明治19(1886)年以降、小学校・中学校・師範学校等の教科書は、文部省の検定をえたものを採用することになった。そして、明治37(1904)年からは小学校の教科書の国定制度が始まる。太平洋戦争中の昭和18(1943)年からは師範学校と中等学校の教科書も国定制度をとり、昭和19(1944) 年には青年学校の教科書も国定制になった。
昭和24(1949)年から検定制が実施され、多くの教科書出版会社がそれぞれ個性豊かな教科書を出版している。
1、翻訳教科書時代
明治5(1872)年学制が布かれ、近代的な新しい学校が発足したが、わが国独自の教科書の作成は間に合わなかった。そのため主に西洋のものを翻訳して使用した。このためこの教科書を翻訳教科書とよんでいる。
2、検定教科書時代
明治19(1886)年の学制改革から、教科書の検定制度がはじまった。その後、検定制度は、3回にわたって改制され、国家統制が強化された教科書制度となった。
3、第1期国定教科書時代
明治35(1902)年の教科書疑獄(ぎごく)事件を契機として教科書はすべて国定教科書となり、同37(1904) 年から使用されるようになった。この第1期の国定教科書は、比較的近代的な性絡をもつものであった。
4、第2期国定教科書時代
日露戦争後に忠君愛国が強調され、家族国家倫理に基づく教科書が、明治43(1910)年から使用されるようになった。1期に比べて前近代的な倫理が強く打ち出された。
5、第3期国定教科書時代
大正7(1918)年から使用されたこの教科書は、第1次大戦後アメリカの進歩的な教育思想の影響を受けて、児童の興味を重視し自発性を尊重するものへと展開した。
6、第4期国定教科書時代
昭和8(1933)年から使いはじめたこの教科書は、はじめて色刷りとなった。国語には神話教材や古典教材が多くなり、ファシズム台頭期の臣民教育を目指した教科書となった。
7、第5期国定教科書時代
太平洋戦争が始まった昭和16(1941)年、小学校が国民学校に改められた。
この期の教科書は、戦争を聖戦と美化し、聖戦完遂に協力させるための思想的武器のような役割を演じた。
8、終戦直後の教科書
昭和20(1945)年8月太平洋戦争敗戦後、文部省は、9月の授業再開のため戦時教材に墨を塗った教科書を、翌年にはパンフレット(仮綴(かりとじ))教科書を使用させた。