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No.010

美術・工芸展示室

東光院の仏像2

平成3年4月2日(火)~10月27日(日)

 主に郷土の宗教的文化財を紹介するこの展示室において、前回の「東光院の仏像1」展(平成2年10月18日~平成3年3月31日)にひき続き、今回は、「東光院の仏像2」展を企画しました。前回が東光院の本尊薬師如来立像をはじめとする東光院本来の仏像を出陳しましたので、今回は明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)のおりに東光院に移されたといわれる仏像を紹介することにしました。

薬王密寺東光院

 東光院は今からおよそ1,200年前の大同元年(806)に最澄(さいちょう)(伝教大師)によって開かれたといわれています。場所は市内の博多区吉塚3丁目、その境内(けいだい)は現在きれいに整備されて公園になっています。

 東光院の宗旨は、最初は天台宗だったと思われますが、鎌倉時代には一時禅宗になり、承天寺(じょうてんじ)(博多区博多駅前1丁目)の末寺になりました。室町時代後半は戦乱のうちにも信仰が盛んで、当時は「堅粕薬師(かたかすやくし)」といわれ周防(すおう)(山口県)の武将大内政弘が塩断ちの精進(しょうじん)をして参詣したり、安土桃山時代には遠く織田家の浪人小神野勝悦が眼病平癒(へいゆ)祈願のために訪れるなど、全国的に信仰がひろがっていました。江戸時代初期の火災からの復興は、3代藩主黒田忠之(ただゆき)によって僧栄仙が招かれておこなわれ、その時に真言宗に改宗されました。

 明治維新の廃仏毀釈のおりには円福寺からもう1組の薬師如来坐像と十二神将立像が移されてきて、本堂には薬師如来と十二神将が2組、これに日光・月光菩薩(がっこうぼさつ)、阿弥陀如来、不動明王などが一同に会する壮観な光景でした。しかし東光院は藩主の菩提寺(ぼだいじ)同様の厚遇を受けていましたので、維新後は経済基盤を失い次第に衰退していきました。最後の住職清藤泰順(きよとうたいじゅん)尼は、これらの由緒ある多くの仏像を当寺で保存していくことに限界を感じられ、その保存を福岡市に委ねられました。そして昭和56年(1981)宗教法人総本山薬王密寺東光院は解散しました。

薬師如来坐像
薬師如来坐像

薬師如来坐像

 薬師如来は正しくは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)といい、東方の浄瑠璃世界に住んでおられます。東光院という名前も、東方から放たれる瑠璃光に因(ちな)んでいるのでしょう。

 薬師如来は左手に薬壺を持っているように、病気がなおりますようにとお願いする仏さまで、わが国では奈良時代ころから広く信仰されてきました。しかし、本来は薬師如来は心の病(煩悩(ぼんのう))を取り去ろうとしているのですが、『薬師如来本願経』に説かれている薬師如来の12の大願のうち、「どんな楽や医者でも見放した病気も、自分の名前を聞いたら治るようにしよう」と誓っていることが強調されたために、身体の病気をなおしてくださる仏さまとして信仰されるようになったようです。

 明治初年、新政府は神道国教政策をとり、それまでいっしょになっていた神道と仏教を分離することにしました。これにより神社から仏像や仏具が取り除かれ、壊されたり焼かれたりしていわゆる廃仏毀釈がおこなわれました。なかにはこの薬師如来坐像のように厚い信仰に助けられ他の寺へ移されて難を逃れた仏さまもいました。

 この薬師如来は住吉神社の神宮寺(じんぐうじ)(神社に付属して営まれた寺院)である円福寺から廃仏毀釈のおりに移されてきたといわれています。円福寺は『筑前名所図会』(文政4年・1821、奥村玉蘭(ぎょくらん)著)によりますと、いつ開かれたかはわかりませんが松華山と号す真言宗の寺で、黒田長政が尊秀法印に命じて資金や材木を与えて改築し、3代藩主光之(みつゆき)のときには祭田を寄付されるなど藩主の保護が厚い寺だったようです。ところで、この像の胎内には慶長15年(1610)年に京都七条の大仏師康厳が修理したことを記した銘があります。それによりますと藩祖黒田如水の妹芳誉妙円大姉(ほうよみょうえんたいし)が大檀那(おおだんな)(仏のために金や物を施す人)になって修理したことがわかります。芳誉妙円大姉の正しい法号は昌林院法誉秋月妙円大姉といい、銘には昌林寺という寺名もでできます。従って、この像はもともと同じ住吉村にあった昌林寺にあった可能性もでてきます。この昌林寺についてはまだよくわかっていませんが、像が昌林寺から円福寺へ、そして東光院に安置されたということが考えられます。

 胎内にはもう1つ享保3年(1718)の修理銘の札があります。それによりますと修理したのは地元福岡の仏師安通。前回「東光院の仏像1」で陳列した十二神将のうち寛文7年(1667)の安底羅(あちら)大将(申)、迷企羅(めきら)大将(酉)、宮毘羅(くびら)大将(亥)の3躯をつくった仏師の弟です。近世の初めに京都で修理され、半ばに地元の御用仏師に再ぴ修理され、安置場所が移りましたが維新の混乱に残るなど、この薬師如来坐像の信仰の厚さを感じさせます。

 均整のとれた鼻口に円満なふっくらとした頬、そして浅い彫りに流れるような衣紋線(えもんせん)は平安時代後期(藤原時代)につくられた仏像の特徴です。

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休館日
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