平成3年4月2日(火)~10月27日(日)
招杜羅大将立像 |
十二神将立像
薬師如来坐像の眷属(けんぞく)(家来)で、これらの像も明治維新のおりにいっしょに円福寺から移されたといわれています。
それぞれ怒った顔をして身には甲冑(かっちゅう)をつけ、そして手には武器を持って、仏教行者を警護します。もともとは十二支に関係なかったのですが、昼夜12時の護法神としてかわるがわるに守護の任務について人々を守ると考えられたために、頭上に獣頭をのせるようになりました。
前回陳列した薬師如来立像の眷属である十二神将(平安時代後期)にくらべ、むしろユーモラスを感じさせるところがあり、各像個性豊かに表現されており、この像が制作されたころ(南北朝時代)の時代風潮などが感じられます。14世紀のここ九州の地方様式の完成品的な像です。
阿弥陀如来立像
一般に「阿弥陀さま」と親しまれ、人人はこの仏さまに死後は極楽浄土(ごくらくじょうど)へ行けますようにとお願いします。「南無」というのは“帰依します”という意味で、従って「南無阿弥陀仏」は“阿弥陀仏をお慕いしますからよろしくお願いします”ということになります。
胸前にあげた右手の親指と人差し指を結ぴ、下げた左手も同様に指を結んだいわゆる来迎印(らいごういん)をした阿弥陀加来像は、平安時代後期の来迎思想とともに多くつくられました。鎌倉時代には仏師快慶がつくった阿弥陀来迎像の様式が流行しますが、この像もその様式に属します。しかし円満な顔や体つき全体からうける印象に前時代のものが感じられ、まだまだ鎌倉新様式未消化の地方作といえましょう。
東光院の仏像の修理記録には阿弥陀如来像は1躯も出てきません。この阿弥陀如来立像も他寺から移された客仏と思われます。