平成3年9月18日(火)~11月17日(日)
各種タバコ |
はじめに
江戸時代も中期以降になると、貨幣経済が発達し、大都市に人口が集中して都市民衆社会が形成され、文化が栄えた。こうした社会構造の変化と、商業の発達にしたがって、大衆消費を促す情報媒体として、さまざまな広告・宣伝メディアが出現した。
ここに展示している引札(ひきふだ)、散(ちらし)広告、片(びら)、看板などがそれであり、かわら版や見立(みたて)番付、錦絵などとともに庶民に親しまれた。これらは明治にいたって一層の盛行をみ、印刷手段、意匠、デザインも多種多様となっていった。ここに展示しているこれらの資料は、当時の庶民生活の一端を知る上で貴重であり、経済史、商業美術の視点からも注目される。
1、江戸期の広告
商店の屋号や商品を示す看板や暖簾(のれん)は、江戸期以前から存在した。より積極的な宣伝広告の方法として引札(ひきふだ)やびらが、江戸中期以降から登場した。
引札は報条(ほうじょう)とも書き、「くばり札」の意味で、開店披露・大安売・見世物興行などを宣伝のため顧客一人一人に配った摺物(すりもの)であり、今日の散(ちらし)広告にあたる。また、びらは床屋や銭湯など人の多く集まるところに貼られたものであり、今日のポスターにあたる。
絵びら |
2、絵びらの世界
「びら」とは、人目につくところにはった絵入りの広告、すなわち今日のポスターである。江戸期の絵びらは、浮世絵師が需(もと)めに応じて腕をふるった、極彩色の版画であった。
ここに展示しているのは、明治期の絵びらで、印刷方法もすでに石版・銅版がとりいれられている。美人画や七福神などがよく用いられ、正月の年賀や夏季の中元として顧客に配られたものとおぼしき作品が多い。
写真(明治初年の京都の履物屋) |
3、看板
看板は、取扱う商品や屋号を目立つように示した広告標識のことである。古くは「令義解(りょうのぎげ)」(833年)の開放令に、商人に標(ひょう)をたてることを義務づけた規定がみられる。種々の意匠をこらした看板がつくられるようになったのは江戸期のことで、暖簾(のれん)とともに商人の誇りとして大事にされた。
ここに展示しているのは、明治期の看板である。