平成3年11月19日(火)~平成4年1月19日(日)
生(いき)の松原の防塁(「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」より) |
生の松原の防塁-2列の石積み |
元寇防塁(げんこうぼうるい)は、今からおよそ700年余り前の1276(建治2)年、再度の蒙古襲来に備えて博多湾に築かれました。当時は石築地(いしついじ)と呼ばれ、1281年の弘安(こうあん)の役(えき)では元軍の上陸を阻止(そし)しました。しかし、江戸時代にはすでに砂に埋まり、また壊(こわ)されていました。
防塁の考古学上の調査は、1913(大正2)年の今津長浜(いまづながはま)の防塁に始まり、1931(昭和6)年には国の史跡に指定されました。戦後、1968(昭和43)年から1971(昭和46)年にかけて本格的な発掘調査が行われ、現在のような姿で整備保存されています。
今回の展示では国史跡指定から60年、戦後の本格的調査から20年を記念して、元寇防塁の調査研究の歩みと、意外に知られていない築造方法について展示します。防塁は単に石を台形状に積み上げた構築物にすぎません。されど蒙古襲来に関する世界史的な遺跡です。この展示を機会に防塁に対する理解が深められ、文化財としての貴重な価値を再認識していただければ幸いです。
調査年月 | 地区 | 内容 |
1913年(大正2)7月 | 今津長浜 | 史蹟現地講演会(主催・福岡日日新聞社)による地元の人々を動員した発掘と現地での講演会 |
1920年(大正9)10月 | 西新 | 教育勅語下賜30周年を記念して西新尋常高等小学校生徒を動員した発掘 |
1924年(大正13)12月 | 西新 | 福岡県嘱託島田寅次郎氏による現修猷館高校東側の道路建設にともなう発掘調査 |
1968年(昭和43)3月 | 生の松原 | 福岡市教育委員会による保存工事のための発掘調査(考古・文献・土木工学等の総合的調査) |
同年8~9月 | 今津 | 〃 |
1970年(昭和45)1~2月 | 西新 | 〃 |
1971年(昭和46)9月 | 今津 | 福岡市教育委員会による復元補強のための発掘調査 |
1978年(昭和53)10月 | 姪浜脇 | 福岡市教育委員会による市営団地建設にともなう発掘調査 |
(右の文書の釈文) | 防塁の築造を命じた最初の文書(「少弐経資(つねすけ)石築地役催促状(さいそくじょう)」) |