平成3年11月19日(火)~平成4年1月19日(日)
資料名 | 時代 | 所蔵 | |
1 | 木碇=西区唐泊(からどまり)の海底出土の碇石(室中央) | ~南北朝時代 | 福岡市埋蔵文化財センター |
防塁の調査研究 | |||
1 | 山田安栄『伏敵編』 | 明治24(1891)年刊 | 館蔵 |
2 | 史蹟現地講演会編「元寇史蹟の新研究」 | 大正4(1915)年刊 | 福岡市民図書館 |
3 | 大正2(1913)年 今津長浜の防塁発掘(写真パネル) | 『元寇史蹟の新研究』所収 | |
4 | 川上市太郎『元寇史蹟』(地之巻)(『福岡県史蹟名勝天然記念物調査報告書』14) | 昭和16(1941)年刊 | 館蔵 |
5 | 相田二郎『蒙古襲来の研究』 | 昭和33(1958)年刊 | 館蔵 |
6 | 福岡市教育委員会編『生の松原元寇防塁発掘調査概報』 | 昭和43(1968)年刊 | 内田文庫(館蔵) |
7 | 同『今津元寇防塁発掘調査概報』 | 昭和44(1969)年刊 | 同 |
8 | 同『西新元寇防塁発掘調査概報』 | 昭和45(1970)年刊 | 同 |
9 | 昭和四三(1968)年 今津長浜の防塁発掘(写真パネル) | 福岡市埋蔵文化財センター | |
10 | 川添昭二『注釈 元寇防塁編年史料-異国警固番役史料の研究-』 | 昭和46(1971)年刊 | 館蔵 |
防塁の築造方法 | |||
1 博多湾の香椎(かしい)から今津(いまづ)まで、海岸の砂丘上に1列に築かれた | |||
1 | 蒙古襲来絵詞 | 永仁元(1293)年より製作 | 原資料 宮内庁 |
2 | 八幡愚童訓(はちまんぐどうくん) | 1300年代製作 | 原資料 京都府・石清水八幡宮 |
2 九州各国の分担で、半年で築かれた | |||
3 | 少弐経資(つねすけ)石築地役催促状(さいそくじょう) | 建治2(1276)年3月10日 | 原資料 佐賀市・深江チエ氏 |
3 石材・粘土は近くの山から持ってきた | |||
4 | 今津長浜(毘沙門山・津舟崎)(写真パネル) | ||
5 | 生の松原(小戸(おど)・長垂山(ながたれやま))(写真パネル) | ||
6 | 西新(祖原(そはら)山)(写真パネル) | ||
4 一定区間を分担し、同時進行的に築かれた | |||
7 | 今津長浜の防塁接合部(写真パネル) | ||
8 | 今津長浜の防塁(写真パネル) | ||
9 | 生の松原の防塁接合部(写真パネル) | ||
10 | 玄武(げんぶ)岩・花崗(かこう)岩・砂(さ)岩 | ||
5 西新(にしじん)の防塁では粘土で基盤工事をし、中に粘土と砂を交互に積んでいた | |||
11 | 西新の防塁断面(写真と構造図) | 福岡市埋蔵文化財センター | |
6 現在、博多・香椎では防塁が見つかっていない | |||
12 | 聖福寺古図(しょうふくじこず) | 永禄元(1558)年以前の製作 | 原資料 福岡市・聖福寺 |
13 | 博多区古門戸(こもんど)町出土の石積み遺構(写真パネル) | 鎌倉~南北朝時代 | 福岡市教育委員会埋蔵文化財課 |
7 加佐(かさ)・高(たか)など意味不明の工事用語がある | |||
14 | 少弐貞経施行状(さだつねしぎょうじょう)(「榊文書」写) | 正和5(1316)年2月12日 | 個人蔵 |
15 | 生の松原の二列の石積み(写真パネル) | ||
8 室見(むろみ)川・多々良(たたら)川の河口には乱杭(らんぐい)・切立(きりたて)が打たれた | |||
16 | 少弐浄恵(経資)書下(かきくだし) | 弘安10年3月29日 | 前原町・中村令三郎氏 |
9 修理は60年余りも続けられた | |||
17 | 他宝坊願文(がんもん) | 永仁元(1293)年8月15日 | 前原町・中村令三郎氏 |
18 | 今津出土の脚付土鍋・土鍋 | 南北朝時代 | 福岡市埋蔵文化財センター |
19 | 足利尊氏御判御教書(ごはんみぎょうしょ)(写真パネル) | 康永元(1342)年5月3日 | 柳川市・(株)「御花」(柳川古文書館保管) |
10 江戸時代には埋没・破壊されていた | |||
20 | 筑前国続風土記 | 元禄16(1703)年 | 館蔵 |
21 | 石城志(せきじょうし) | 明和2(1765)年 | 館蔵 |