平成4年3月31日(火)~5月31日(日)
大水牛脇立兜(重文・黒田資料) |
黒田家旗識図(大多和喜八郎氏資料) |
軍扇(大多和喜八郎氏資料) |
あいさつ
わが国の甲冑は、鉄砲という新しい兵器の登場で安土・桃山時代にかけて、最も実用的で個性的な当世具足になりました。
以後、江戸時代260余年にわたる太平の続く社会の中で、甲冑は実用のためよりも儀式・装飾のためのものとなりました。武家が軍事力によって社会を保つという時代精神のシンボルの1つであり続けたのです。残された甲冑武具は、それぞれの時代の「武」に対する考え方を、現在の我々に語りかけています。
歴史展示室
合戦にみる江戸時代の武士像
このコーナーでは、福岡藩士の甲冑のほかに、支藩秋月藩や肥後熊本藩の各藩士が所用した、実用的個性的な甲冑を中心に展示しています。とくに合戦に必要な諸道具である法螺(ほら)、軍配、采配をはじめ陣中鍋、陣鐘、床机、陣中旗、背旗等を一覧できるようにしました。しばし近世武士の世界に思いをはせ、そこにくりひろげられたドラマを通して、近世の武士像を感じ取っていただければ幸いです。
黒田記念室
福岡藩主黒田氏の甲冑について
福岡藩初代藩主黒田長政(くろだながまさ)は、信長、秀吉、家康の天下統一事業に参加した歴戦の武将で大水牛脇立(だいすいぎゅうわきたて)兜は変り兜として有名です。2代忠之(ただゆき)も鯰尾形(なまずおなり)兜などで島原の乱に参陣します。3代以降の藩主は太平の時代に流行した室町時代の復古調の甲冑を所用しますが、兜には家紋の藤巴などを付けています。6代継高(つぐたか)や幕末の11代斉溥(なりひろ)、12代長知(ながとも)などは、初代長政の甲冑を模作し着用しますが、先祖の活躍にあやかろうとしたのでしょう。