平成4年11月25日(水)~平成5年2月14日(日)
洋装は華族社会から始まった | |||
1 | 昭憲皇太后の写真(警規庁『昭憲皇太后御大葬儀記録』大正4年掲載) | ||
2 | 錦絵「上野公園地御遊覧之図」 | 明治23年2月印刷・発行 | 楊斉延一筆 |
3 | 錦絵「上野公園地第三回内国博覧会之図」 | 明治23年4月印刷・発行 | 東洲勝月筆 |
4 | 招待状 | 明治43年4月24日 | 宮内大臣より黒田長成あて |
5 | 招待状 | 明治42年11月15日 | 宮内大臣より黒田長成あて |
6 | 『華族画報』 | 大正2年10月15日発行 | 華族画報社 |
7 | 引札 | 明治時代 | |
8 | 引札 | 明治時代 | |
9 | 『盟徳記念絵画館壁画集』 | 昭和11年10月1日発行 | (財)明治神宮奉賛会 |
一般の女性は和服だった | |||
10 | 日本の婚礼習慣写真帖 | 1906年発行 | |
11 | 日本の娘の一日の生活写真帖 | 1905年発行 | |
12 | ポスター(赤玉ポートワイン)(複製) | 大正11年 | 寿屋 |
女学校の制服は洋装化への第一歩 | |||
13 | 教育少女きせかへ | 大正3年 | 堀切玉藤 |
14 | 教育少女きせかへ | 大正4年 | 小林久作 |
15 | 少年少女小学教科双六 | 明治40年1月1日発行 | 博文館 |
16 | 洋服地(セル) | 昭和時代 | 日本毛織(株) |
17 | 世界婦人風俗双六 | 大正6年 | 実業之日本社 |
18 | 婦人風俗双六 | 明治42年 | 博文館 |
19 | 絵葉書(女学校の調理実習) | 大正9年 | 福岡女学校 |
20 | セーラー服の女学生(早良高等女学校卒業アルバム 昭和7年掲載) | ||
21 | 女学校入学時の写真(早良高等女学校『卒業記念』 昭和8年掲載) | ||
22 | 女学校の女性教師(早良高等女学校『卒業記念』 昭和9年掲載) | ||
着物をベースにした和洋折衷スタイル | |||
23 | 絵葉書(和洋折衷スタイル) | 昭和時代 | 大阪毎日新聞社 |
24 | 着物・コート・ショール | 大正時代 | |
25 | 「流行 東京 大阪」(『週刊朝日』大正11年4月16日の記事) | 朝日新聞社 | |
26 | 銀座のカフェー服装採集 | 1926年 | W.Kon K.Yoshida |
27 | 美人画ポスター | 大正時代 | |
28 | ポスター(花嫁) | 大正時代 | |
29 | 別府温泉祭ポスター | 昭和3年 | 別府市役所他主催 |
30 | 東亜博のポスター | 昭和2年 | 福岡市主催 |
31 | ショール用のレーヨン糸 | 昭和時代 | 帝国人造絹糸 |
32 | 家庭洋裁画報型紙 | 大正14年5月1日発行 | 渋谷梅子 |
33 | ポスター(サッポロビール) | 昭和6年 | |
34 | 「簡易な夏向婦人洋服」(大日本連合婦人会『家庭』昭和6年の記事) | 並木伊三郎 | |
35 | 広告(玉屋夏の大市) | 昭和時代 | 玉屋 |
36 | 大売り出しのちらし | 昭和11年 | 玉屋 |
機能を追求すると洋服に近づく | |||
37 | 『婦人の生活』第1冊 | 昭和15年12月5日発行 | 生活社 |
38 | 「大日本婦人会会員制服の作り方」(大日本婦人会『日本婦人』昭和17年の記事) | 大日本婦人会 | |
39 | モンペ | 昭和時代 | |
40 | モンペスタイル | 昭和時代 | |
洋服着用が日常的になる | |||
41 | 「新しいきもの」(世界文化社『家庭画報』昭和33年の記事) | 主婦連合会衣料部 | |
42 | 「あなたの衣服について」(甲鳥書林新社『衣食住』昭和33年の記事) | 桑沢洋子 | |
43 | 留袖 | 昭和時代 |
※期間中一部展示替をします。
※資料をご提供いただいた方々(敬称略)
井島良雄・岡田 一・黒田茂子・中窪菊枝・ 松岡 純・サッポロビール博物館・ サントリー株式会社・帝人株式会社