平成5年11月30日(火)~平成6年1月30日(日)
藤巴付三分金判 | 藤巴付弐分金 | 藤巴付壱分金判 |
福岡藩の鋳貨について
福岡藩は、文久3(1863)年に藤巴付(ふじどもえつき)三分金、同壱分金、同弐朱銀を鋳造している。いずれも藩非常用のお金という名目になっている。また同年以降、同藩は、幕府が天保期に発行した天保通宝(銭100文に相当する)を大量に贋造している。この天保通宝は、「天保」と「通宝」が内郭より離れてみえるため、一般に「福岡離郭」と称した。
慶応期には同藩は、新たに藤巴付金弐分金、筑前弐分金を鋳造している。
筑前通宝 | |
天保通宝(福岡離郭) |
太政官札贋造(だじょうかんさつがんぞう)事件
維新になると、福岡藩は財政難を打破するため、明治政府発行の太政官札を偽造している。藩通商局の一行が、軍艦環瀛丸(かんえいまる)に贋札を積み込み、福岡藩の北海道開拓地に出発した。途中、小浜、酒田、函館等の寄港地で特産品を贋札で買い付けたため、贋札使用が、後志(しりべし)国久遠(くどお)郡で発覚した。この事件で、明治4(1871)年7月に藩知事黒田長知は罷免されて、新しい知事に有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)が着任した。福岡県は、宮様知事の赴任によって、藩知事が県知事にならなかった、唯一の県となった。
太政官札「贋札」金壱両 明治元(1868)年発行 |
〈協力いただいた方々〉
麻生家、 稲富 清、 岡本 茂、 小林一雄、 東定宣昌、 原 康記、 松本一郎、 百田米美、 山根良夫、 九州大学石炭研究資料センター (敬称略)