平成5年11月30日(火)~平成6年1月30日(日)
(部門別2)
天正大判(表・裏) |
天正大判(表・裏)
豊臣秀吉の命をうけて大判金を鋳造した京都の後藤家は、室町時代以来の彫金家である。天正年間(1573-1591)に造られた天正大判は、1枚の目方が44匁1分(165グラム)あり、当時の京目十両に相当するものであった。表面に「拾両」とあるのは、その目方を示し、ついで製作者の「後藤」とあり、さらに後藤の花押(かおう)が墨書されている。裏面には、「長政(花押)、けんわ元年11月15日」と墨書がある。
大判は、もともと軍用・賞賜・贈答などに用いるために造られたものである。
福岡藩 五匁元禄16(1703)年発行 |
福岡藩 五匁/元禄16(1703)年発行
福岡藩が最初に発行した藩札である。表面に「筑前札所」と刷られた藩札は、元禄期(1688-1703)以降のものにはみられない珍しいものである。
秋月藩 銭三百文文化8(1811)年発行 |
秋月藩 銭三百文/文化8(1811)年発行
秋月支藩は、福岡本藩同様藩札の発行を元禄期から行っている。しかし未だどんな札であったのかも判っていない。発見されている最古の札が、文化期(1804-1817)に発行されたものである。表面に七福神の姿を刷り込んだので、「七福神の赤札」といわれた。またこの札は通称「弁慶札」とも呼ばれた。
天保丁銀・小玉銀 |
天保丁銀・小玉銀
江戸時代に通用した秤量貨幣である。小玉銀(こだまぎん)は豆板銀・小粒ともよばれた。丁銀(ちょうぎん)・小玉銀は、銀貨鋳造を江戸幕府から特許された銀座により鋳造された。
丁銀は、なまこ形で、量目は一定せず、「宝」「常是」の字に大黒像の極印が打たれていた。極印の「保」は、天保期をあらわしている。
1 | 金貨(天正大判、慶長小判、筑前一分金等) | 文禄-明治期 | 15点 |
2 | 銀貨(天保丁銀、天保豆板銀等) | 寛永‐天保期 | 6点 |
3 | 銭(天宝通宝、筑前通宝、銭緡等) | 寛永-慶応期 | 7点 |
4 | 枝銭 | 文久3年 | 1点 |
5 | 福岡本藩藩札(生蝋切手等含む) | 江戸期 | 160点 |
6 | 秋月支藩藩札 | 江戸期 | 50点 |
7 | 福岡領内私札(関屋札、飴屋札等) | 江戸期 | 35点 |
8 | 両替秤 | 江戸期 | 1点 |
9 | 銭箱・銀箱 | 江戸期 | 2点 |
10 | 太政官札(贋札を含む) | 幕末期 | 7点 |
11 | 黒田二十四騎図 | 江戸期 | 1点 |
12 | 大水牛脇立兜(黒田長知所用) | 江戸期 | 1点 |
13 | 贋札事件写真(パネル) | 江戸期-明治期 | 2点 |