平成5年11月30日(火)~平成6年1月30日(日)
(部門別1)
筑前御徳炭鉱札 |
筑前御徳炭鉱札
筑前御徳炭鉱(ちくぜんごとくたんこう)は、堀三太郎が御徳海軍炭鉱(鞍手郡)の鉱区払下げを受けて、大正元(1912)年12月に資本金50万円で堀鉱業を設立して経営した炭鉱である。この券は、この御徳炭鉱が発行した10万斤の高額券である。表には、坑口付近で石炭を運搬している坑夫の姿が描かれている。また裏には、GOTOKUTANKOとローマ字が刷られており、酒落た図案になっている。
この券の通用区域は、「堀鉱業所本店金庫及ビ当地指定商店」とある。
石炭壱車証・生源札明治20年頃発行 |
石炭壱車証・生源札/明治20年頃発行
廃藩置県後、廃札になった福岡藩拾匁(じゅうもんめ)札を転用したもので、表に「壱車証 生源」、裏に「石炭」と墨書されている。表の「生源」とは、生穂屋(なるほや)(屋号)という酒醸業を経営する許斐(このみ)源兵衛の略称である。運炭1車に対しこの札を1枚渡し、後日現金と引換えたもの。
新手炭鉱引換券 昭和24年発行 |
新手炭鉱引換券/昭和24年発行
新手(あらて)炭鉱は、九州採炭株式会社が経営していた。同会社は、藤井伊蔵が昭和13(1938)年に資本金2,000万円で設立したものであった。会社側は、昭和24(1949)年に石炭不況と配炭公団廃止にともなう自主販売から、経営難を理由に賃金引下げ案を組合側に提示した。
その結果、鉱員賃金は20パーセントをカットするが、鉱員1人当たり1,000円を貸与することで妥結した。この1,000円の現金の代りに引換券(金券)が発行された。
第十七国立銀行紙幣(旧紙幣)壹圓/明治6(1873)年発行
明治5(1872)年に伊藤博文の献策によってアメリカのナショナルバンクにならって設立された国立銀行は、明治10(1877)年ごろには、全国で153行にも達した。福岡県内に設立された国立銀行は、福岡十七・久留米第六十一・大橋第八十七・柳河第九十六の4行であった。
この紙幣は、明治6年にニューヨークのコンチネンタル紙幣会社で印刷されたもので、各国立銀行と同一のものを使用した。ただし、銀行名、頭取名、支配人名等は違っている。
1 | 硬貨(旧金貨・貿易銀等) | 明治期 | 5点 |
2 | 紙幣(明治通宝、国立銀行券等) | 明治期 | 11点 |
3 | 辞令 | 明治8年 | 1点 |
4 | 炭鉱株券 | 明治-昭和期 | 10点 |
5 | 鉱区図(抗内図、実測図等) | 明治-昭和期 | 6点 |
6 | 炭鉱札(購買券等含む) | 明治-昭和期 | 281点 |
7 | 石炭 | 昭和 | 5点 |
8 | 採炭道具 | 明治-昭和期 | 10点 |
9 | 炭鉱夫等図(山本作兵衛画) | 昭和期 | 7点 |
10 | 炭鉱関係写真(パネル) | 明治-昭和期 | 10点 |