平成6年1月11日(火)~4月10日(日)
産着 |
東区・十日戎神社の姫だるま |
山笠巡行屏風図 |
はじめに
現代、街の中には多くの色があふれています。赤い色も街角のあちらこちらに見かけ、以前は女性の色と言われた赤い服を男性が着ていることも珍しくありません。そして神社の鳥居やダルマ、博多祇園山笠の赤手拭(てぬぐい)、厄払(やくばら)いにつける赤褌(ふんどし)など、伝統的に使われている赤も少なくありません。これらはハレの日(非日常的な日)に関するものが多くを占めています。なぜハレの日の行事に赤が使われているのでしょうか。
今回、これら日本の伝統として残っている赤のもつ意味について、明治~昭和初期の資料と発掘出土品を中心に構成しました。赤い色を通して、日本の色文化の一端を御覧下さい。
祭礼(さいれい)・慶事(けいじ)の赤
江戸時代には、赤は高貴な女性を表すものとされ、一般の人々は身に付けることを禁じられていた。しかし、当時でも祭礼や慶事などに限って一部は許されていた。慶事とは出産・結婚などの人生儀礼にかかわる祝い事を意味し、祭礼ともども非日常つまりハレの行事とされてきた。明治時代以降、赤を身に付けることに制限はなくなるが、現代に至っても非日常(ハレ)の色としての心意は伝承されてきている。
魔除けの赤
江戸時代、赤い色は疱瘡除(ほうそうよ)けとして信じられており、「赤絵(あかえ)」という紅一色刷りのお札が作られた。また、「ほうそう絵」という紅一色刷りの絵草子(えぞうし)を見舞いとして贈る習慣もあった。赤い色が病魔(びょうま)を退散させるという俗信は古く中国から伝わり、『今昔物語』によれば疱瘡神(ほうそうしん)は赤い色を好むとされている。赤い色物に疱瘡神を引き寄せて病難から逃れようとする思想が、だるまや鯛車(たいぐるま)などの赤い玩具を生み出した。
笹野才蔵人形 |
笹野才蔵
笹野才蔵人形は大正期まで博多人形の一つとして作られていた。前髪に振袖若衆姿の笹野才蔵が御幣を持って、猿を抱いた形をしているが、本資料は御幣が欠落している。笹野は豊臣秀次(ひでつぐ)(秀吉の養子)に仕えた武将で、子供の疱瘡を治したという故事に因み、このような人形が作られるようになった。赤色の衣と猿が疱瘡除けを意味している。