平成6年1月11日(火)~4月10日(日)
英彦山ガラガラ | 疱瘡除けの猿 |
門口の魔除け
福岡市内の民家の門口には様々な魔除けとなる玩具が飾られている。最もよく見られるのは、早良区藤崎にある猿田彦神社の初庚申(はつこうしん)の猿面である。そのほか、英彦山ガラガラという土鈴や、今ではもう作られなくなった疱瘡除けの猿などを見ることもできる。
流行病(はやりやまい)や悪事が玄関から入り込まないようにと願いを込めて取り付けた咒具であるが、赤色が多く使われていることに気付く。
赤く塗った弥生土器(器台) |
考古学から見た赤
~古墳時代まで~
古墳時代までに使われた塗料のうち、その多くが赤系統の色である。そのほとんどは祭に使うための土器や道具、墓の内部や死者の顔などの他、用途のわからない特殊な器物に塗った。これらは神にささげるものや死者を彩るもの、身を飾るものなどである。身に飾る腕輪などでも、赤く塗ったものは数少なく、赤く塗った各種の器物は日常的ではない特殊な意味、魔除けや慶事など非日常的なことに使われたと考えられている。
赤く塗られた古墳の石室(西区鋤崎古墳) |
~飛鳥時代以降~
大陸の文物・文化を大幅にとり入れた古墳時代以降、日本での祭祀(さいし)形態が変わり、赤い土器や墓を赤く塗る習慣が消えていった。飛鳥時代以降の発掘出土品のうち、縄文時代以来の伝統技術である赤漆製品を除くと、赤く塗ったものはほとんどない。赤漆製品も一般庶民が日常的に使っていたとは考え難く、貴族や武士の所持していたものが多い。天皇の住む宮殿などが赤く塗られたことも考えあわせると、紫などとともに高貴な色のひとつであったと考えられる。
朱(しゅ)(水銀朱・辰砂(しんしゃ))と丹(に)(ベンガラ)
日本古代の赤い顔料には朱・丹・鉛丹の3種がある。このうち朱は大分県丹生の他日本に七ヵ所ある水銀鉱床でとれ、丹は日本全土でとれる天然資源であるため、縄文時代から日本の各地で利用された。特に漆とまぜて作る赤漆は現在まで残る技術で、漆器の英語表記”Japan”の如く、日本文化の一側面であるとも言えよう。
おわりに
赤は祭礼や人生儀礼など非日常(ハレの日) に使われる。庶民にとって使用を禁じられた赤色は、魔除け・厄除けなど民間信仰として、或いは、人生儀礼における生まれ変わりとしての再生の色として生き続けた。
現在では祝儀の色である赤に対して、葬送では黒が用いられる。しかし、葬送に黒が定着したのは戦後のこととされる。考古資料にも見られるように、葬送は赤で表現されるハレとして意識されていた。
〈協力者〉
石橋 清水・上田 泰三・ 大隈 虎走・岡田 一・ 古賀 善一・田北 文子・ 中窪 菊枝・花田 イト・ 三浦水津哥・山本儀七郎