平成6年3月29日(火)~9月25日(日)
福岡市およびその近郊には、多くのすぐれた仏教美術が残されている。信仰の対象として寺社に伝わった仏像や工芸品、個人で所蔵する仏像などさまざまである。本展では九州で最も古い木彫像とされる二丈町(にじょうまち)・浮嶽神社(うきだけじんじゃ)の彫刻3体のうちの木造仏坐像をはじめ、当地の仏教文化を代表する仏像ほか、仏像が初めて作られたパキスタン・ガンダーラ地方の仏像、さらに中国宋代の木彫仏、高麗時代の銅造仏、鍍金鐘などを展示した。
1 木造仏坐像 |
1 木造仏坐像(伝薬師如来像) 1躯
重要文化財/二丈町・浮獄神社/像高89.9
今日両腕の肘(ひじ)先と両足膝(ひざ)先を欠失しているが、全体を一木から彫り出している。材についてはヒノキ材あるいはカヤ材の説がある。全体にボリュームがあり、細部もていねいで、すぐれた彫刻である。後の時代にはない体の奥行と引締まった体つき、緊張感ある面相、ていねいに刻まれた衣など平安時代も早い時期の制作と思われる。浮嶽神社にはほかに地蔵菩薩像、如来像と2躯の立像があり、当地の古い仏教文化の高さを伝える。
2 木造聖観音坐像 |
2 木造聖観音坐像 1躯
重要文化財/城南区・油山観音正覚寺/像高79.2
右足を上に結跏趺坐(けっかふざ)し、左手には蓮茎を持つ。肉付がよく胴がくびれた安定感のある優美な姿態である。また、表情は端正であるが穏やかで、髪の毛筋をはっきりと彫り出す。高く結い上げた髻(もとどり)、彫りの深い衣が本像の特徴といえよう。油山はかつて僧房も多く、はやくから仏教修業の場であったという。油山観音正覚寺は京都・東福寺第24世の平田慈均(へいでんじきん)(?~1364)を中興の開山とする。
3 木造阿弥陀如来坐像 |
3 木造阿弥陀如来坐像 1躯
像高53.2/個人蔵
平安時代後期に、世の中が乱れるという末法思想(まっぽうしそう)が流行し、阿弥陀さまに、死後に西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)にて成仏できるようお祈りする信仰が盛んになった。この様な仏像のふっくらとしたお顔が信者の心をなぐさめたのであろう。この像は檜でつくられ、全身に金箔が施され当初はまばゆいばかりのお姿をし、極楽浄土の阿弥陀さまをこの世にみる思いがしたことであろう。
4 木造如来形残欠 | 4 同背面 |
4 木造如来形残欠 1躯
福岡県指定文化財/個人蔵/総高(現状)51.1
小像ながらふくよかで丸い穏やかな表情、浅い彫りではあるが量感ゆたかな体つきなど藤原時代の如来像の特徴をよく示す。現在、体の前面のみを残し、像名が不明であるが、下腹部に膝前の材との繋ぎ面が残り、坐像だったことがわかる。顔の各部、衣もていねいに彫り出され、都作りの美しい像である。背後から体の内側をえぐっている様子がよくわかるのも貴重である。
5 木造観音菩薩坐像 |
5 木造観音菩薩坐像 1躯
像高79.7/太宰府市・戒壇院
両手は親指と中指をそれぞれ結び、結跏趺坐する。腰には裙(くん)をまとい、天衣(てんね)は両肩をおおい、両腕にかかる。両腕上腕にはリボン状の布のついた釧(くしろ)を大きくあらわす。頭部は高く髻を結い、毛筋をきちんと彫る。鼻、口元はくっきり彫り、頭や体のモデリングもしっかりしている。都の正統な仏師の作と考えられる。戒壇院が元禄期に再興されたときに制作された像であろうか。