平成6年6月28日(火)~9月11日(日)
鬼瓦 |
人間が生活する上でもっとも重要なもののひとつに便所があります。1日20分間便所にいるとして、一生涯80年間で約一万時間(何と一年一ヵ月強!) も便所にこもっているのです。
便所がいつ頃から日本で使われたのかよくわかりません。奈良時代以降の都市にはまちがいなく便所は存在したのがわかっていますが、最近まで遺跡からは発見されませんでした。1990年、鴻臚館跡で初めて奈良時代の便所が発見され、それ以降、藤原京・平城京で飛鳥・奈良時代の便所が相次いで発見されました。今回の展示では鴻臚館で発見された便所を中心に、1年間も閉じこもる部屋”便所”について、考えてみましょう。
鴻臚館で発見された建物群 | |
鴻臚館から出土したイスラム陶器(左)と青磁水注(右) |
鴻臚館とは
鴻臚館は飛鳥・奈良・平安時代の客館(迎賓館)で、平安京(京都)・難波(大阪)・筑紫(福岡)の3ヵ所に設けられ、唐や新羅の使節、などを接待・宿泊させる施設であるとともに貿易の窓口でもありました。筑紫の鴻臚館は初め筑紫館(つくしのむろでみ)と呼ばれ、西暦688(持統2)年から1091(寛治5)年まで、日本書紀や日本紀略などの記録に登場します。
鴻臚館の建物
鴻臚館の建物群は3つの時期に分けられます。
- 1期
- 7世紀末頃で、周囲を塀(へい)に囲まれた堀立柱(ほったてばしら)建物群(土の中に柱を立てた建物)。
- 2期
- 柵に囲まれた8世紀の堀立柱(ほったてばしら)建物群。
- 3期
- 10世紀で、南門や回廊(かいろう)状の建物をもつ礎石(そせき)建物(柱の下に基礎をもつ建物)群。
このうち今回発見された便所は2期の建物に伴うものです。
便所の発見
便所の跡は建物群の南西側に3基並んでいました。穴はほぼ垂直に掘られ、深さ4mと大変深い穴です。穴の下部の土は真っ黒で、この土の中から千本以上の細長い木片や瓜の種、蝿の蛆(うじ)などが出土しました。多くの木片はクソベラ(籌木(ちゅうぎ))と考えられ、これらの穴は便所の便槽であろうと考えられました。奈良時代では初めての便所の発見でした。
奈良時代の建物群と便所の位置 | 男性用便所 | 女性用便所 |
瓜からわかる使用期間
黒い土(大便)の層の中には瓜の種を含んだ層が2層ありました。瓜の種の層が2層あるということは、瓜を食べる夏の時期を2回経過していたことを示し、従って便所は1年半以上使われたと考えられます。現在、瓜やメロンなどは種の部分は捨ててしまいますが、当時は種ごと食べたのでしょうか。