平成6年9月27日(火)~平成7年3月26日(日)
5 阿修羅王像 |
5 木造二十八部衆のうち
阿修羅王像(あしゅらおうぞう) 1躯
迦楼羅王像(かるらおうぞう) 1躯
前原市・雷山千如寺大悲王院/像高(阿修羅王像)86.5 (迦楼羅王像)85.8
二十八部衆とは千手観音の眷属(けんぞく)のことで、今回展示の2躯の像も雷山千如寺大悲王院(らいざんせんにょじだいひおういん)の千手観音像(重要文化財)に付随して造られたものでしょう。阿修羅は元来、インド固有の戦闘神であったものが後に仏教の護法神(ごほうしん)として組み込まれたもので、その像は三面六臂(さんめんろっぴ)(顔が3つ、腕が6本)のものが一般にはよく知られています。本像は一面四臂三目で牙を出すなど、特異な姿であらわされています。迦楼羅はインドの神話に登場する鳥類の王で、これも後に仏教に取り入れられたものです。一面四臂で、手には篳篥(ひちりき)(横笛の一種)を持ち、嘴(くちばし)状の口は元来が鳥であったことを示しています。
6 石造狛犬(せきぞうこまいぬ) 1対
福岡県指定文化財/西区・飯盛神社/総高(阿形)47.7 (吽形)46.7
この一風変わった狛犬は、その形が中国の宋代にわが国に伝えられたということから一般に宋風狛犬と呼ばれています。阿形(あぎょう)像は前脚で毬(まり)を持ち、吽形(うんぎょう)像は子獅子を抱き抱え、それぞれ州浜(すはま)状の岩座の上に身をよじった姿であらわされています。福岡県内には他にも建仁元年(1201)の銘をもつ宗像郡玄海町・宗像(むなかた)神社のものをはじめとして、同様のものがいくつか知られています。
6 石造狛犬 |
7 石造降誕釈迦像(せきぞうこうたんしゃかぞう) 1躯
石造菩薩形立像(せきぞうぼさつぎょうりゅうぞう) 1躯
石造降魔釈迦像(せきぞうごうましゃかぞう) 1躯
福岡県指定文化財/個人蔵/総高28.3 19.9 23.6
仏教がインドでおこったのは紀元前5世紀頃のことで、最初は仏像をつくらず、菩提樹(ぼだいじゅ)や台座、足跡などで仏(釈迦)を表現していました。そして2世紀頃になると、インダス川上流のガンダーラ地方(現在のパキスタン)で、主に釈迦の伝記に基いた仏像が造られるようになりました。降誕(こうたん)釈迦像は、母のマヤ夫人(ぶにん)の右脇から釈迦が誕生する瞬間を、菩薩形立像は出家する前の王子であった頃の釈迦の姿を、降魔(ごうま)釈迦像は釈迦が魔衆の攻撃を退け、悟りを開こうとする情景をそれぞれあらわしています。いずれもスツーパ(仏塔)の基壇部(きだんぶ)を飾っていたものでしょう。
8 銅造菩薩形坐像(どうぞうぼさつぎょうざぞう) 1躯
像高 75.3/徳田信彦氏寄託
福岡をはじめとして九州北部には朝鮮半島との交流の歴史を偲ばせる仏像がいくつか残っています。本像もその一つで、高麗(こうらい)時代のものと考えられます。両肩から法衣をかけ、腰には裙(くん)と呼ばれる腰布を、そして左肩から下着をつけた坐形の菩薩像で、肩には垂髪(すいはつ)があらわされています。また、頭部にはもとは髻(もとどり)と宝冠が取り付けられていたと思われます。目鼻立ちは鋭く、一種独特の厳しい表情をした鋳造物(ちゅうぞうぶつ)です。
9 鍍金鍾 |
9 鍍金鍾(ときんしょう)1口
重要文化財/東区・志賀海神社/総高52.8
朝鮮半島では7世紀から18世紀にかけて日本の鐘(和鐘(わしょう))とは形式の異なる独自の釣鐘がつくられました。これを一般に朝鮮鐘とよんでいます。当初は全面に鍍金(ときん)(金メッキ)されていた本鐘もそのひとつで、龍頭(りゅうず)の部分に体をくねらせた龍と、旗挿(はたさ)しと呼ばれる筒をあらわす点が和鐘との大きな違いです。笠(かさ)の周囲には立状帯(りゅうじょうたい)と呼ばれる飾りを付け、各部に陽鋳された菩薩像や天部(てんぶ)像など豊かな装飾にあふれています。制作は高麗(こうらい)時代と思われます。