平成6年12月6日(火)~平成7年1月22日(日)
福岡藩の御用絵師 衣笠氏
江戸時代には、幕府や大名などに召し抱えられた御用絵師とよばれる画家たちがいました。
御用絵師は、江戸の4つの奥絵師(幕府の御用絵師)と呼ばれた狩野家を中心として、地方の御用絵師もほぼ狩野派で占められていました。地方の御用絵師は奥絵師の家に入門することで狩野の姓を名乗ることを許され、粉本(ふんぽん)とよばれる絵手本によって絵画を学び実際の絵を描きました。衣笠氏は尾形(小方)氏や上田氏などとならび代々福岡藩の御用絵師をつとめました。彼らは藩主や藩士、僧などの肖像画をはじめ、国絵図、博物学的な記録、絵馬の制作に携わりました。
今回の展示では、これまで、あまり知られていなかった福岡藩の御用絵師衣笠氏の絵画制作活動を紹介します。
衣笠氏の絵画制作活動
1.伝衣笠氏筆 おしどり図 |
●粉本類
粉本では、衣笠家に代々伝わっていたとされる「鳥図」および「おしどり図」(図1)があります。両図とも背景を詳しく描き込まず鳥類をクローズアップし、横にその名称を記しています。本来は一つの巻子本であったと伝えられています。また、神農(しんのう)の子孫を描いた「賢聖(けんじょう)図巻」(図3)も同じように絵手本を写したものと考えられます。なお、尾形家には衣笠家初代守昌(もりしげ)が描いた粉本を尾形家9代洞眠(どうみん)が写したものが伝わっており、絵師同士の交友が窺えます。
2.衣笠守昌筆 小督図屏風 |
3.衣笠守昌筆 賢聖図巻 |
●屏風絵
衣笠氏には比較的多くの屏風絵が残っています。尾形(小方)氏や上田氏が手がけた屏風絵があまり残っていないことから、このことは衣笠氏の特徴といえましょう。初代守昌(もりしげ)の描いた「牛馬図屏風」(図4) のように、他にあまり例を見ない大胆な構図のユニークな作品もありますが、その多くは物語や花鳥を題材とした大和絵風の屏風絵です。これらに描かれた樹木や岩、人物などの表現には定型化が見られますが、6代守由(もりよし)の「小督(こごう)図屏風」(図2) では、川面にうつる月を描きだすなど作者の工夫も見られます。また、守弘筆の「伊勢物語図屏風」右隻は、鍛冶橋(かじばし)狩野家の祖探幽(たんゆう(にゅう))の「井手玉川図」と図様がほぼ一致しており(ただし反転)、このような大和絵の画題でも狩野派の作品を手本としていたことがわかります。
4.衣笠守昌筆 牛馬図屏風(右隻) |
4.牛馬図屏風(左隻) |
●絵巻
2代守弘は「氏八幡宮御縁起」(図6)という絵巻を手掛けています。この絵巻は「宗像軍記」をもとに作られ、玄海町の鐘崎(かねざき)という地名の由来や戦国時代の跡目争(あとめあらそ)いで有名な宗像騒動などが描かれています。部分的には様々な大和絵の図様を引用していますが、全体構成は守弘のオリジナルと思われます。地方作ではすぐれた絵巻の一つでしょう。
5.伝衣笠氏筆 群鳥図屏風 |
6.衣笠守弘牛筆 氏八幡宮御縁起 | 6.氏八幡宮御縁起(部分) |