平成7年3月28日(火)~9月24日(日)
4 木造釈迦如来立像 個人 |
4 福岡県指定文化財 木造釈迦如来立像(もくぞうしゃかにょらいりゅうぞう)
1躯/個人蔵(宗像郡玄海町 宗像大社保管)/ヒノキ材 挿首割りはぎ造/像高 159.0センチ
痩(や)せた体つきで直立した姿の釈迦如来です。頭部は縄状の髪を刻んで巻毛を表す。衣は両肩をおおい、同心円を意匠とした細かい衣文を刻むという特徴ある像です。これは平安時代に東大寺の僧奝然(ちょうねん)が宋から持帰った釈迦如来像を写したもので、清涼寺(せいりょうじ)式釈迦と呼ばれ、鎌倉時代に多く作られました。衣の褶(ひだ)が大小あるのを丁寧に彫る技はみごとです。ただ衣の下の肉体の表現がややおとなしい印象があります。本像は下関の阿弥陀寺(あみだじ)(赤間宮(あかまぐう))にあった像を津屋崎町(つやざきまち)の円通寺(えんつうじ)に移座した仏像です。
5 木造釈迦如来坐像 恵光院 |
5 福岡市指定文化財 木造釈迦如来坐像及両脇侍像(もくぞうしゃかにょらいざぞうおよびりょうきょうじぞう)
1躯/福岡市東区馬出 恵光院(えこういん)/ヒノキ材 寄木造/像高 94.2センチ
量感のある仏像です。頭部は大きく目尻のつりあがった厳しい顔つきです。頬や体つきに張りがあり、鼻や口もと、眉などや衣の褶もはっきりと彫刻するなど力強さに満ち、慶派を中心とする鎌倉時代の彫刻の特徴がよく表れています。脇侍の普賢、文殊菩薩像は江戸時代にあとから加えられたものです。釈迦如来の頭部に木札が入っていて、墨書から本像はもともと瑞応禅寺(ずいおうぜんじ)(現在は廃寺)という寺の本尊で、天正(てんしょう)4年(1576)の修理に博多仏師猪熊与次郎(いのくまよじろう)が携わったことがわかります。江戸時代には筥崎宮(はこざきぐう)の長講所(ちょうこうしょ)というところにまつられていましたが、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で恵光院に移りました。
6 木造文殊菩薩騎獅像 飯盛文殊堂崇敬会 |
6 福岡市指定文化財 木造文殊菩薩騎獅像(もくぞうもんじゅぼさつきしぞう)
1躯/福岡市西区飯盛 飯盛文殊堂崇敬会(いいもりもんじゅどうすうけいかい)/ヒノキ材 寄木造/総高 215.2センチ
飯盛神社の近くにある文殊堂に安置されています。そこにはもとは神宮寺(じんぐうじ)という名の真言律宗(しんごんりっしゅう)寺院がありました。神宮寺は奈良・西大寺(さいだいじ)の末寺で鎌倉時代に西国に大きく広がった一派でした。西大寺末寺だった寺院にはすぐれた鎌倉彫刻が残っており、本像も例外ではありません。大きな獅子像は誇張がなく、力強く表現されています。文殊菩薩像は何枚かの着衣をあらわそうと複雑な褶(ひだ)を彫刻するなど丁寧で、獅子像と共にバランスの良さが感じられます。文殊菩薩の体内に墨書(ぼくしょ)が書かれ、獅子と文殊をつなぐ心木に書かれた銘文が記録されていて像の成立がわかります。それによると元弘(げんこう)3年(1333)に仏師湛幸法印(たんこうほういん)によって作り始められ、康永(こうえい)元年(1342)7月15日に安置されたことがわかります。湛幸の仏像は奈良の法隆寺(ほうりゅうじ)はじめいくつかの聖徳太子像や佐賀・円通寺(えんつうじ)の持国天(じこくてん)、多聞天(たもんてん)像を作ったことが知られ、活動時期の長い仏師であったようです。
7 木造宝冠阿弥陀如来坐像 大本山善導寺 |
7 久留米市指定文化財 木造宝冠阿弥陀如来坐像(もくぞうほうかんあみだにょらいざぞう)
1躯/久留米市善導寺 大本山善導寺(だいほんざんぜんどうじ)/ヒノキ材 寄木造/像高 60.7センチ
菩隆像のように高く髪を結い、宝冠をかぶり、胸飾りをつけた姿の阿弥陀如来像です。鎌倉時代になり、禅宗寺院を中心に入悟(にゅうご)前の釈迦をあらわすという宝冠釈迦像が多く作られましたが、本像はその姿にならったものでしょうか。像の膝前裏に陰刻の銘(めい)があり、仏師「法眼院広(ほうげんいんこう)」の名と制作年「貞和(ていわ)5年」(1349)がわかります。院広は京都・等持寺(とうじじ)の仏師で足利将軍の保護を受けました。僧の位の最高位である法印(ほういん)を受け、当時のいわゆる院派仏師の中心的存在であったと思われます。像は小ぶりですが量感があり、細部も丁寧に彫刻され、南北朝時代のすぐれた仏像といえます。
8 木造薬師如来坐像 光明禅寺 |
8 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞう)
1躯/大宰府市大宰府 光明禅寺(こうみょうぜんじ)/ヒノキ材 寄木造/像高 83.0センチ
腹前で両手を組んで大きな薬壺(やくこ)を持っています。像容は穏やかでおとなしい印象があります。胸、腹部も凹凸の少ない表現で衣文も比較的ゆるやかに彫られて、藤原時代の仏像の印象をもっています。後世の補修も多いのですが顔の鼻や口もとの凡帳面(きちょうめん)なまでの固さや腹部の衣の褶が波立っていて、すでに鎌倉時代に入ってからの造像と思われます。本像は江戸時代までは太宰府天満宮の薬師堂に安置されていたようです。体内に墨書銘があり、太宰府の安楽寺(あんらくじ)の僧によって、慶長(けいちょう)11年(1606)に修理が行われたことがわかります。
本展の開催にあたりまして、油山観音正覚寺、飯盛神社、飯盛文殊堂崇敬会、恵光院、光明禅寺、大本山善導寺、宗像大社文化財管理事務局ほか御所蔵者、管理者の方々に御配慮賜りました。記して感謝申し上げます。
※なお、5・木造釈迦如来坐像及両脇侍像と6・木造文殊菩薩騎獅像は6月25日(日)までの展示です。