平成7年3月28日(火)~9月24日(日)
9 木造神子栄尊坐像 |
9 福岡県指定文化財 木造神子栄尊坐像(もくぞうじんしえいそんざぞう)
1躯/久留米市 朝日寺(ちょうにちじ)/材料不明、寄木造/像高 115.2センチ
鎌倉時代に日本に伝えられた禅宗は、新たに政権を担った武士に受け入れられ、大きな広がりを見せました。禅宗では師弟のつながりを極めて重要視し、そのため頂相(ちんそう)と呼ばれる禅僧の肖像画や彫刻が多数つくられました。本像もその一つで、曲(きょく)ろくという椅子に座り、右手に警策(けいさく)を持つ通常の形式に倣(なら)っています。口元を引き締めギョロリと見開いた厳しい眼や、頬骨(ほおぼね)の高く突き出した個性的な顔、さらに堅く握った手などからは老僧の衰えぬ気迫をうかがうことができます。像内に嘉元(かげん)2年(1304)の造像銘、膝前に垂れる裳裾(もすそ)裏には永正(えいしょう)10年(1513)の修理銘があり、頂相彫刻の基準作例として重要です。神子栄尊(1194~1272)は筑後国・三潴庄(みずまのしょう)(現在の久留米市)出身の禅僧で、41歳の時、円爾弁円(えんにべんえん)(京都市・東福寺(とうふくじ)の開山)と共に宋に渡り、無準師範(ぶじゅんしはん)に師事した後、帰国して佐賀県大和町・万寿寺(まんじゅじ)や久留米市・朝日寺などを開きました。
10 木造聖観音立像 |
10 福岡県指定文化財 木造聖観音立像(もくぞうしょうかんのんりゅうぞう)
1躯/杷木町/カヤ材、一木造り/像高 102.5センチ
何かのポーズをとるかのように臂(ひじ)を曲げ、大きく腰をひねって立つ観音像です。左肩から斜めに懸(か)かる条帛(じょうはく)の端(はし)を胸前で表に出し、腰を覆う裳(も)はくるぶしの上で短く切り上げるなど、全体に藤原時代(10~12世紀)の菩薩像(ぼさつぞう)の形式を守っています。しかしひねった腰にやや不自然ながらも像に動きを与えようとする作者の意図がみえ、さらに膝前にあらわされた衣文(えもん)の彫りが鋭いことなどは、この像が古い様式を残しながらも新しい表現へ一歩踏み出したことを示しています。像内に墨で書かれた銘文から建仁(けんにん)4年(1204)の制作年がわかり、この時代のこの地方での造像活動を知るうえでも貴重です。なお、本像は杷木町(はきまち)・梅林庵(ばいりんあん)(廃寺)の本尊として長い間、見ることのできない秘仏(ひぶつ)として安置されてきました。
11 木造聖観音坐像 |
11 木造聖観音坐像(もくぞうしょうかんのんざぞう)
1躯/前原市 大悲王院(だいひおういん)/ヒノキ材、寄木造/像高 35.3センチ
小像ながらゆったりとした雰囲気をもつ観音像です。厚い衣をまとい、体にまとわりつくようにうねっている皺(しわ)、眉が長く伸びた独特のくせのある表情などは、本像が室町時代の彫刻であることを物語っています。小像にもかかわらず体幹部を前後2材からつくる寄木造(よせぎづくり)で、像内を刳(く)りぬく内刳(うちぐ)りを施すこと、複雑になりがちな衣の皺をうまく処理する手慣れた技術は、本像が畿内の正統派仏師の手になることを思わせます。しかし全体に手本の像を写したような彫りの固さがあること、衣の皺に形式化のあとが見られることなどから本像の制作は15世紀頃まで降ると思われます。