平成7年9月26日(火)~平成8年3月24日(日)
1 木造地蔵菩薩立像 |
ここでいう糸島地方とは旧糸島郡をさし、現在の前原市・二丈町・志摩町そして福岡市西区の一部にあたる地域です。その名は古代からの郡名である怡土(いと)郡・志摩(しま)郡に由来し、邪馬台国(やまたいこく)のことを記した中国の歴史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には伊都(いと)国としてこの地方が登場するように、古くから知られた土地でした。また、中世には今津(いまづ)(福岡市西区)が重要な貿易港として歴史に登場するなど、玄界灘に面した地理的なことから朝鮮半島や中国への玄関口としての役割も担ってきました。
本展示ではこのような糸島地方に守り伝えられてきた仏像を展示します。糸島地方には今も多くの仏像が残されています。これらの中には九州で最古の木彫像と言われる浮嶽神社(うきだけじんじゃ)の木造地蔵菩薩立像(もくぞうじぞうぼさつりゅうぞう)や朝鮮半島との交流の歴史を証明する銅造菩薩形坐像(どうぞうぼさつぎょうざぞう)など、優れた仏像も少なくありません。またその一方、この地方を歩いてみると怡土郡七ケ寺あるいは清賀上人(せいがしょうにん)といった興味深い伝承に彩られた仏像が多いのにも気が付けます。怡土郡七ケ寺とは、かつて糸島地方に栄えたと言われる7つの仏教寺院で、いずれも奈良時代に聖武(しょうむ)天皇の勅願(ちょくがん)を受けた清賀上人という僧が開いたと伝えられています。
この機会に悠久の歴史を秘めた糸島地方の仏教文化に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
1 重要文化財 木造地蔵菩薩立像(もくぞうじぞうぼさつりゅうぞう)
1躯/糸島郡二丈町吉井 浮嶽神社(うきだけじんじゃ)/カヤ材 一木造/像高 173.9センチ
二丈町の西部にそびえる浮嶽(うきだけ)(805m)の山麓には、かつて怡土郡七ケ寺の一つ、久安寺(きゅうあんじ)があったと伝えられています。本像はそこに安置されていたといわれ、九州で最も古い木彫像の1つです。全身を一木から彫り出すこと、厳しい表情、重量感のある体躯などはいずれも平安時代前期の彫刻の特徴です。ところで、平安時代前期には日本各地で在地の神が仏道に帰依し、僧になった姿をあらわした「僧形神像(そうぎょうしんぞう)」がしばしば造られました。平安時代初期には地蔵菩薩像の作例が少ないことから、本像も本来は僧形神像として造られた可能性が考えられます。
2 木造阿弥陀如来坐像 |
2 重要文化財 木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)
1躯/糸島郡志摩町御床 西林寺(さいりんじ)/ヒノキ材 寄木造/像高 107.5センチ
西林寺は糸島富士といわれる可也(かや)山の麓にあり、その寺地は古くは太宰府・観世音寺(かんぜおんじ)の有力な寺領の1つでした。本像は来迎印(らいごういん)(阿弥陀が信者を極楽浄土に導く時にとる手の形)を結んだ阿弥陀像で、非常に穏やかで整った姿をしています。特に、大きな肉髻(にくけい)(頭の上の盛り上がった部分)、肩や胸など丸く穏やかな感じのする体の各部分、浅く流れるような衣の皺(しわ)などは平安時代後期に流行した仏像の特徴で、当時都で造られた仏像を写したような洗練味があります。おそらく観世音寺との関係でこのような都ぶりの仏像が残されたのでしょう。
3 木造薬師如来立像 |
3 福岡県指定文化財 木造薬師如来立像(もくぞうやくしにょらいりゅうぞう)
1躯/糸島郡二丈町福井 大法寺(だいほうじ)/クス材 一木造/像高 154.8センチ
目元の切れ上がる独特の表情をした薬師如来像です。頭部に網目(あみめ)状の螺髪(らはつ)を刻み、肉髻(にくけい)と地髪部が連続しているように見せるやり方は、平安時代前、中期頃の仏像にしばしば行われた表現です。しかし、衣文の彫りが浅く体の奥行きが薄いこと、さらに頬(ほお)に穏やかな丸みが加わっていることから、本像の制作は平安時代後期まで下ると思われます。九州に多いクス材で彫られていることや一種独特の表情などは、古い時代にこの地方で活動した仏師(ぶっし)の存在を思わせます。