平成7年11月21日(火)~平成8年1月28日(日)
東西17km・南北5kmにわたり福岡市の前面に広がる博多湾は、古くから対外交流の歴史の舞台であり、それを物語る文化財の宝庫です。今回の展示は、最近の水中考古学の成果を含めて、歴史の舞台としての博多湾という視点から、博多湾の出土品を取り上げてみたいと思います。
展示は、昭和6(1931)年博多港修築工事中の出土品、博多湾の各種出土品、昭和59(1984)年玄界島(げんかいじま)調査の出土品、平成6(1994)年志賀島(しかのしま)・玄界島調査の出土品の4つのコーナーに分け、博多湾出土の遺物240点を紹介します。
弥生時代以来の各時代の遺物、とくに外国からの交易品が出土しており、博多湾が古くから交流の拠点の役割を果たしていたことがあらためて理解されることでしょう。
昭和6(1931)年 博多港修築工事中に出土した中国製陶磁器類 |
1 昭和6(1931)年博多港修築工事中の出土品
昭和6年からの内務省による博多港(福岡市博多区)修築工事中に、沖合300m・水深5mの海底から引揚げられたもので、現在所在のはっきりしているものを展示しています。中国製の青磁碗(せいじわん)・皿(さら)、褐釉壺(かつゆうこ)、銅銭、天目碗(てんもくわん)、船の碇石(いかりいし)などが出土しており、日中間を盛んに往来した貿易船の積荷の一部と思われます。また江戸時代の豊前上野(ぶぜんあがの)・筑前高取(ちくぜんたかとり)系の陶磁器も出土しています。
昭和37(1962)年 唐泊(からどまり)北沖で引揚げられた弥生時代の広形銅矛(ひろがたどうほこ) |
2 博多湾の各種出土品
戦後、博多湾の海底で底引網にかかり、偶然に引揚げられた遺物の中から代表的なものを取り上げました。弥生時代の広形銅矛(ひろがたどうほこ)、中国唐代の海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)、中国宋代の製作と考えられる白磁碗(はくじわん)、博多湾出土と伝えられる中国元代の至元8(1271)年銘のある蒙古雲版(もうこうんぱん)、中国元代の石製片口摺鉢(すりばち)、中国宋~元代の製作と思われる銀製水注(すいちゅう)の6点を展示しています。弥生時代以来の各時代の遺物、とくに外国からの交易品の出土が注目されます。
昭和59(1984)年 玄界島出土の近世唐津焼(からつやき)碗・皿・壺 |
3 昭和59(1984)年玄界島調査の出土品
昭和59年、博多湾で初めて行われた水中考古学調査である玄界島(げんかいじま)(福岡市西区)の潜水海底調査と漁民の手で採集された遺物を展示しています。島の西南沖から17世紀初頭の唐津焼(からつやき)の碗・皿・杯(つき)・摺鉢(すりばち)などが多数引揚げられ、近世初頭の廻船(かいせん)の積荷と考えられています。また中国製の青磁(せいじ)も引揚げられており、博多湾の入口にあたる玄界島と糸島半島の間が航海の難所であったことがうかがえます。
平成6(1994)年 玄界島海底遺跡出土の近世唐津系大皿(部分) |
4 平成6(1994)年志賀島・玄界島調査の出土品
平成6年、博多湾で行われた本格的な水中考古学の調査である志賀烏(しかのしま)(福岡市東区)・玄界島(げんかいじま)(同西区)の総合調査で出土した遺物を展示しています。この調査では潜水調査とともに超音波サイドスキャン・ソナーや地質探査機によって海底地図も作製され、「玄界島海底遺跡」として周知されることになりました。玄界島沖の調査では17世紀初頭の多数の陶磁器が発見され、志賀島では日中間を往来した貿易船のものと思われる碇石(いかりいし)2点が新たに見つかりました。
近世唐津系大皿の海底出土状況 | 平成6(1994)年 志賀島西側海岸で発見された碇石(いかりいし) |