平成8年10月1日(火)~平成9年3月30日(日)
櫛田神社梵鐘(竜頭部分) |
都市の騒音が激しくなった昨今、寺院にある梵鐘(ぼんしょう)(つりがね)の音を、実際に耳にする機会は少なくなりました。しかし、除夜(じょや)の鐘などで時折その響きを聞くと、私たちは改めてその音色のすばらしさに気が付きます。
ところで、この音として親しんできた梵鐘ですが、意外にその姿をじっくりと見ることは少ないのではないでしょうか。梵鐘は本来、音を出すための道具として造られるということもあって、その形は一見、地味で単純そうに見えます。しかし実際のところ、その制作には大変な労力と高度な技術、あるいは経験が払われています。そのため、梵鐘をよく見てみると、各部にそれを作った人々の技術的な工夫や、デザインに対する真剣な配慮をうかがうことができます。また梵鐘は、全体の形式が時代を通じてほぼ一定しているので、ちょっとした形の違いによって、造られた時代の美意識を最も素直にあらわしやすい工芸品であるとも言えます。
幸い、北部九州は古くから梵鐘などの鋳造品とは縁が深く、中世には有名な芦屋釜(あしやがま)を生産した芦屋鋳物師(いもじ)や、小倉を中心に活動した小倉鋳物師などの存在が知られています。また、福岡市東区の志賀海神社(しかうみじんじゃ)の鍍金鐘(ときんしょう)にみられるように、福岡が大陸との交流の窓口であったことを示す朝鮮半島製の梵鐘も少なからず残されています。
今回、本展示では福岡市とその近郊に残された梵鐘の中から、美術的に優れたものをいくつかご紹介します。これを機会に、梵鐘そのものがもつ美しさにふれてみてはいかがでしょうか。
1 承天寺 銅鐘 |
1 銅鐘(どうしょう)(重要文化財)
1口/福岡市博多区 承天寺(じょうてんじ)/(総高)76.0センチ (口径)44.6センチ
銘文から、高麗(こうらい)時代前期の清寧(せいねい)11年(1065:ただし清寧は中国の年号)に制作されたことがわかる朝鮮半島の梵鐘です。形が日本の梵鐘とは異なり、笠形(かさがた)の上に体をくねらせる単身の竜頭(りゅうず)と、甬(よう)(旗挿(はたさし))と呼ばれる筒状の突起を備えています。また、鐘身には日本の梵鐘にみられる袈裟襷(けさだすき(縦横の区画))がなく、替わりに飛天や仏像の図柄が精巧にあらわされています。本鐘には制作時の銘文のほか、後から追加して刻まれた銘文(追銘(ついめい))があり、室町時代の明応(めいおう)7年(1498)には既に承天寺の開山堂である常楽院(じょうらくいん)の喚鐘(かんしょう)(合図の鐘)として用いられていたことがわかります。
2 志賀海神社 鍍金鐘 |
2 鍍金鐘(ときんしょう)(重要文化財)
1口/福岡市東区 志賀海神社(しかうみじんじゃ)/(総高)51.5センチ (口径)30.3センチ
全面に鍍金(金メツキ)が施された珍しい朝鮮半島の梵鐘です。現在は緑青(ろくしょう)(銅錆び)に覆われて一部分しか鍍金の様子をうかがうことができませんが、制作された当初は、まばゆい光を放って多くの人々を驚かせたことでしょう。本鐘には銘文が無く、正確な制作年代はわかりませんが、竜頭(りゅうず)の形が高麗時代前期にみられるU字型ではなく、S字型であること、笠形(かさがた)の周囲に立状帯(りゅうじょうたい)と呼ばれる飾りを付けること、さらに四方に撞座(つきざ)を設けていること、などの特徴から、高麗時代後期に制作されたと考えられます。おそらくその大きさから、梵鐘としてではなく木槌でたたく喚鐘(かんしょう)として造られたものでしょう。
3 甘木歴史資料館 梵鐘 |
3 梵鐘(ぼんしょう)
1口/甘木市 甘木歴史資料館/(総高)100.9センチ (口径)53.0センチ
昭和63年に甘木市の秋月城(あきづきじょう)跡から出土した朝鮮半島の梵鐘です。土中に埋められた経緯は定かではありませんが、鐘身の伸びやかな姿や力強い竜頭(りゅうず)の形は、明らかに本鐘が高麗(こうらい)時代(918~1392年)も早い時期に制作されたことを物語っています。鐘身に「筑前國下座郡延應寺住持自通/大檀那丹波氏女比丘尼源真/永和三年丁巳十一月十五日」と銘文が刻まれており、何らかの事情で朝鮮半島から日本に持ち込まれていた本鐘を、永和(えいわ)3年(1377)年に源真という人物が下座郡(げざぐん)(現在の甘木市南部)にあった延應寺(えんおうじ)という寺に寄進(きしん)したことがうかがわれます。