平成8年10月1日(火)~平成9年3月30日(日)
4 東禅寺 梵鐘 |
4 梵鐘(ぼんしょう)(福岡県指定文化財)
1口/鞍手郡若宮町 東禅寺(とうぜんじ)/(総高)79.4センチ (口径)44.2センチ
池(いけ)の間(ま)の銘文から、建保(けんぽう)3年(1215)に大工坂田家守によって造られたことのわかる、鎌倉時代の梵鐘です。飾り気がなく、すっきりと引き締まった気品のある姿に、この時代の梵鐘の特徴がよくあらわれています。銘文に記された作者「坂田家守」については今のところ不明ですが、竜頭(りゅうず)の形をみると、首の部分でつながる双身の竜と、頂上の宝珠(ほうじゅ)の間(あいだ)に半月形の隙間を設けることから、南北朝・室町時代にこれと似た竜頭をもつ梵鐘を多数制作した、小倉鋳物師(いもじ)の先駆的な作品と言われています。福岡県内の鎌倉時代の梵鐘は、本鐘のほか現在、山口・防府天満宮(ほうふてんまんぐう)の所蔵となっている筑前(福岡)油山天福寺(てんぷくじ)の焚鐘があるだけで、非常に貴重です。
5 櫛田神社 梵鐘 |
5 梵鐘(ぼんしょう)(福岡県指定文化財)
1口/福岡市博多区 櫛田神社(くしだじんじゃ)/(総高)93.0センチ (口径)37.5センチ
鎌倉時代には近畿と関東にかたよっていた梵鐘の制作地が、南北朝時代になると飛躍的に地方に拡大していきます。本鐘もその1つで、銘文から康永(こうえい)3年(1344)に肥前国上松浦山下庄(ひぜんのくにかみまつらやましたのしょう)(現在の佐賀県・唐津市付近)で制作されたことがわかります。一般に肥前鐘(ひぜんしょう)と呼ばれているもので、今のところ本鐘も含めて全国に6鐘残ることが確認されています。その特徴は竜頭(りゅうず)に精巧な透(す)かし彫りを施すこと、乳(にゅう)の先に小さな突起があること、駒(こま)の爪(つめ)が2段であることなどで、本鐘も非常に優れた出来ばえを示しています。なお、本鐘には南北朝の銘文を削り取った上に新しい銘文が刻まれており、天正5年(1577)に櫛田神社に奉納されたことがわかります。
6 南淋寺 梵鐘 |
6 梵鐘(ぼんしょう)(福岡県指定文化財)
1口/朝倉郡朝倉町 南淋寺(なんりんじ)/(総高)107.6センチ (口径)56.1センチ
池(いけ)の間(ま)の銘文から、応永(おうえい)28年(1421)に藤原宗久という人物によって制作されたことがわかります。室町時代の梵鐘としては上(じょう)・下帯(かたい)の幅が広いため、古い時代の梵鐘のようなゆったりとした雰囲気をもっています。銘文に記される作者「藤原宗久」については今のところ不明ですが、南北朝・室町時代に活動した小倉鋳物師(いもじ)に「宗」の字を用いる作者が多いことから小倉鋳物師の系統とする見方もあります。しかし竜頭の形をみると、竜と宝珠(ほうじゅ)の間(あいだ)に小さなすき間をつくる小倉鋳物師の作品とは明らかに異なるため、その制作の事情についてはなお検討が必要です。
7 縫殿神社 梵鐘 |
7 梵鐘(ぼんしょう)(福岡県指定文化財)
1口/粕屋郡津屋崎町 縫殿神社(ぬいどのじんじゃ)(宗像大社寄託)/(総高)71.7センチ (口径)47.3センチ
室町時代の北部九州には、筑前芦屋(ちくぜんあしや)(現芦屋町)、豊前小倉(ぶぜんこくら)(現北九州市)のほか、豊前今居(いまい)(現行橋市)にも梵鐘などを造った鋳物師(いもじ)の集団がいたと言われています。本鐘はその中でも数少ない今居鋳物師の作品で、池(いけ)の間(ま)の銘文から、室町時代の永享(えいきょう)12年(1440)に豊前国今居の大工(だいく)(大工は鋳物師の棟梁)藤原吉安によって造られたことがわかります。小型ながら均整がとれ、仕上がりも美しいなど、その姿からは今居鋳物師が小倉鋳物師に劣らない優れた鋳造技術をもっていたことがうかがわれます。なお本鐘には江戸時代に地中から掘り出されたという伝えが残されています。