平成9年2月18日(火)~4月13日(日)
ドンザ(仕事着・普段着) |
ドンザ(仕事着・普段着) |
ドンザ(仕事着・普段着) |
男の領分/女の領分
女性がおこなうアマ漁、あるいは男女が共に参加する地引き網など一部の漁法を除き、漁業は男性の仕事です。個人の能力を超えて、はなはだしいまでに自然の支配を受ける漁業は、独自の信仰をつくりあげてきました。漁業の神としてエビスあるいはイナリをまつることは、漁業が抱える季節によって漁獲が大きく変化する不安定さと、そこから生まれる投機的な経営のかたちを背景としています。また、船の守護神(しゅごしん)であるフナダマへの信仰や、厳格なまでの各種の縁起(えんぎ)かつぎは、ときに襲いくる危険に対処するひとつの方法でした。
一方、女性は男性を後方から支え、力づけることをひとつの職分としてきました。その姿は、経営的には男性のとってきたものを女性が売りさばく行商のような生業のあり方にみることができます。それは男女が互いに補完しあいながら生活の糧(かて)を得るものでした。
ほかにもこのような例はたくさんあるでしょうが、ドンザに関連して1つ挙げると、かつては衣服の生産・管理も重要な女性の仕事だったということがあります。いわゆる晴れ着に相当するヨソイキギモン(特にハカタイキギモンと称することもある)は町で購入するものでしたが、ドンザをはじめとする仕事着は自分たちで作るのが普通でした。
男性がドンザを恰好よく着こなすには、それを生み出す女性にそれなりの技術が必要だったのです。
刺し子の呪力
何枚もの木綿を重ね、手間をかけて刺したドンザは重く厚いものとなります。これは少々の水をじゅうぶんに防ぐことができ、誤って海に落ちたときには空気をためて浮き袋がわりにもなったといいます。漁師の仕事着に必要な耐久性と機能性を、この刺し子の衣服は持っていました。
加えて、ドンザに施された刺繍(ししゅう)は美しい幾何学(きかがく)文様を描いています。ドンザは一生のうちに数着は作ったといいますが、それは母親や妻、まれにはおばが作ってくれるものでした。一針一針、愛情をこめて刺されたドンザの文様には、美しさの追求とともに多く魔除(まよ)けのこころがこめられていました。玄界島では、気のきいた人はドンザの内衿(うちえり)に千鳥縫(ちどりぬ)いといってギザギザの鋸歯文(きょうしもん)を入れていたそうです。これには魔除けの意味があるのだといい、漁に出るとき、水天宮(すいてんぐう)のお守りを木綿に包み、千鳥縫いを施したものを二の腕に巻く習慣がありました。
ドンザに多くみられる麻(あさ)の葉(は)文様も同様で、漁村以外でも子供の着物などによく使われている魔除けの文様です。
一針一針に女性の心がこめられる点は、戦争中に流行した千人針の習俗に通じるものがあります。千人針で、糸の端の玉結びが重要であったことを思うと、全体に結びをめぐらせたドンザにも同様の思いを読みとることができるかも知れません。
人格を持つ衣服
大正時代生まれの玄界島の人が語るには、12~3歳のころ、母親にドンザを作ってもらったそうです。麻の葉文の刺し子の入った丈の長いドンザでした。学校を出て漁師になったら着るようにと言われたことが印象にあるといいます。ドンザを着ることは一人前のしるしでした。
また、ドンザが持ち主とともに葬られたことは先に述べました。葬儀の際、ドンザは棺に納められたり、カムリギモンといって棺に裾(すそ)を上にしてかけられたりしたようです。成人や死といった人生の大きな節目に際して、ドンザが象徴的な役割を果たしていることは重要です。
故人が生前使っていたものを、棺に入れたり、墓標の脇に置く民俗は広くみられるものです。その多くが履き物、杖、眼鏡、食器、嗜好(しこう)用品など、個人のものとして所有していたものです。衣服もそのひとつであり、また代表的なものです。一方、形見(かたみ)わけとして衣服などを配分・継承する民俗は現在も盛んにおこなわれています。これらはいずれも衣服に持ち主の人格をみる点に特徴があります。
女性によって生み出され守られたドンザは、男性の持ち物として着続けられます。ドンザは男という性を象徴したモノでありました。
(松村利規)