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No.118

美術・工芸展示室

ふくおかの文化財展6-近世の福岡仏師-

平成9年9月30日(火)~平成10年3月29日(日)

9 福岡市美術館 木造弘法大師坐像
9 福岡市美術館 木造弘法大師坐像

9 木造弘法大師坐像(もくぞうこうぼうだいしざそう) 1躯

福岡市中央区 福岡市美術館/像高 52.0センチ

 もと福岡市博多医の東光院にあった弘法大師像です。台座(未出陳)の裏に「泰再興/御用大仏師/佐田湛澄」という墨書銘があり、佐田湛澄によって再興されたことがわかります。再興とは佐田仏師の場合、古い像の修理を意味することが多く、必ずしも一から制作したわけではありません。しかし本像の場合、細かく整えることを意識した衣の褶(しわ)や人形のように繊細な顔の表情など、他の佐田仏師の作風と共通する要素も見出すことができます。いずれにせよ(8)の湛澄作・善導大師像と比較しながら、なお制作・修理の両面から検討が必要でしょう。ところで、本像の銘文には福岡藩との関係を示す「御用大仏師(ごようだいぶっし)」という称号が用いられています。この称号は湛澄だけが用いたようですが、佐田仏師は彼よりも以前から度々藩主の命令で仕事をしていて、事実上福岡藩の御用仏師の立場にありました。彼が佐田仏師の練梁を示す文蔵を名乗らないことも考え合わせると、幕末の佐田一派の実状を理解するうえで興味深い資料と言えるかもしれません。


10 千如寺大悲王院 木造弘法大師坐像
10 千如寺大悲王院 木造弘法大師坐像

10 木造弘法大師坐像(もくぞうこうぼうだいしざぞう) 1躯

前原市 千如寺大悲王院(せんにょじだいひおういん)/像高 44.5センチ

 畳座裏の墨書銘から、江戸時代末期の弘化4年(1847)に博多鰮町(いわしまち)に住む佐田文蔵慶尚(けいしょう)が制作したことがわかります。慶尚の作品は比較的多く残されており、明治24年に79歳で没するまで仏師として活動したことが知られています。本像は慶尚35歳の作品で、現在知られている作例の中でも最も早い年号を有します。作風を見ると顔の表情が生き生きとしており、波打つ衣の褶(しわ)も深く刻まれるなど、各所に力強い表現がみられます。これは、今まで見てきた佐田仏師の繊細な作風とは異なるもので、慶尚の仏師としての個性と言えるかもしれません。


11 瀧光徳寺 木造弘法大師坐像
11 瀧光徳寺 木造弘法大師坐像

11 木造弘法大師坐像(もくぞうこうぼうだいしざぞう) 1躯

佐賀県基山町 瀧光徳寺(りゅうこうとくじ)/像高 83.5センチ

 像内の墨書銘により、大正2年(1913)に62歳の高田又四郎良慶(りょうけい)が作ったことがわかります。高田又四郎は主に明治期に活動した仏師です。しかし最初の2年間を佐田文蔵慶尚の弟子として過ごしたことから佐田仏師の系譜の最後に位置づけられています。佐田仏師は明治初年に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)(仏教排斥運動)とそれに続く明治政府の西欧化政策の中で、急速に仕事を失い衰退していきました。本像の作風からもわかるように、そこには既に伝統的な江戸時代彫刻の雰囲気はなく、写実を基礎とする近代彫刻のあり方がはっきりと認められます。しかし、日本近代彫刻の発展に大きな役割を果した彫刻家・山崎朝雲(やまざきちょううん)は福岡において彼に学び、その意味において佐田仏師の技術は近・現代へ生かされたと言えるかもしれません。

(末吉武史)

佐田仏師家系図

 本展の開催にあたりまして、ご所蔵の寺社・館ならびに関係の方々からご配慮賜りました。記して感謝申し上げます。

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